捕物帳に出てきた白象

 象のノート(10)
 
 江戸時代の山王祭で白い象の作り物が登場したことを、久生十蘭の「平賀源内捕物帳・山王祭の大象」(1940)を読んで知った。
 神田祭並みの大祭だった日枝神社山王祭は、神田祭と隔年開催で幕府の肝いりで始まった。祭礼は6月15日。各町が輪番で担当し、麹町が年番のときに町衆が拵えた自慢の白象がお目見えした。
 
 小説では、祭の最中に白象の中で殺人事件が起こる。
 
「一間幅に敷いた白砂の上へ、雪の日に南天の実でもこぼれるように、紅絵具のような美しい血が点々と滴り落ちる。/真先にこれを見附けたのが、すぐ近くの麹町一丁目に住む近江屋という木綿問屋の忰で、今年、九つになる松太郎。/子供の眼は敏く、遠慮がないから、精一杯の声で、/「やア、象の腹から血が流れてらア」/その声で、まわりの桟敷に鮨詰めになっているのが一斉にそのほうを見る。/どうしたというのだろう、作物の象の胸先が大輪の牡丹の花ほどに濡れ、そこから血が赤く糸をひく。/「血だ、血だ」/「象が血を流している」/ワッ、と総立ちになる。これで、騒ぎが大きくなった。」
 
 久生はよく調べて書いているようで、象の高さは四間(約7㍍27)、頭から尻尾までの長さが六間半(約11㍍82)。鼻の長さだけでも九尺(約2㍍70)余りと大きなものだった。
 小説では、平河町の大経師、張抜拵物の名人が二年がかりでこしらえたものとし、「木枠籠胴に上質の日本紙を幾枚も水で貼り、その上へ膠でへちまをつけて形を整え、それを胡粉仕上げにしたもの」と記している。
 
 モデルは、普賢菩薩の乗る白象で、「霊象に倣って額に大きな宝珠がついている。鈴と朱房のさがった胸掛尻掛。金銀五色の色糸で雲龍を織出した金襴の大段通を背中に掛け」ている。
 さらに、享保13年(1728)に渡来した象を参考にし、「芭蕉の葉のような大きな耳から眼尻の皺、鼻の曲り、尾の垂れぐあいまで、さながら生きた象を見るよう」としている。
 
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 江戸末の斎藤月岑の著作「東都歳事記」(1838)には、山王祭の白象が挿絵で紹介されているので、当時の賑わいと、白象の作り物の立派さが伺われる。

「四本の脚の中へ人間が一人ずつ入って肩担いに担ってゆく」(十蘭)というのも、「東都歳事記」でよく分かる。象の脚の下から、人間の足が出ている。

 
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 小説では、象の腹の中で殺害されたのは、浴衣姿の25、26歳とみられる「ゾッとするような美しい女」清元里春。男女関係にあった、象の右後ろ脚の中に入った両替商の息子が疑われるが、探偵の平賀源内は、真犯人は右前脚に入っていた若衆だと突き止める。