壱岐の民俗誌に出てくる猫

 日本最古のイエネコの骨が確認された壱岐では、今でも人間と猫の付き合い方が、特別に親密なところがあるようだ。
 高円寺の古本屋で見つけた「壹岐島民俗誌」(山口麻太郎著、昭和9年、一誠社)を読むと、猫についての興味深い島の習俗が出てくる。
 
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▼犬より猫が家族の一員
「牛が農家の家族の一員たると同様に、猫と鶏も壹岐の農家の家庭構成上缺くべからざるもののように成って居る。犬を飼ふ家はめったにないけれ共、猫と鶏とを置かない家は先づ無いと云ってよい」
 
▼鼠を捕るのが仕事
「愛物として置いてなぐさむのではない。猫も居候ではない。置いて鼠に備へるのである。鼠を捕らすのが目的ではあるが、とらなくても猫が居れば鼠が自由にし得ないだらうと云う気持が強い」
 
▼捨てるときは7回廻してから
「アテイバリをするとか、ヒヨコを捕るとか、始末におへぬ悪癖のあるものは捨てる。袋に入れたり、テポに入れたりして、遠方につれて行って、七回廻して捨てるといふのであるが、大抵の所では帰って来る」
やたらなところでおしっこをするのをアテイバリというらしい。テポは、籠だろうか。
 
 もっとも興味深いのは
▼主人の死とともに形式的に捨てられる
「主人が死ぬと(悪)癖は無くとも捨てねばならないとされ、ちょっとそこいらに捨てる真似でもする」
実際は捨てはしないが、捨てる真似をしなければならない。
 
▼人が死ぬと猫は隠される
「(人が)息を引取るとマクラナラシと云って北枕に直し、顔には手拭をかぶせて、夜具の上にカセを置く。猫が屍を越えるとよくないと考へられて居て、其の為の呪ひらしい。猫も直にかこふ」
 
 前に韓国の晋州の同じような猫の扱いを紹介したが、似ていることに驚く。
 
 晋州の猫のように、縛られはしないが、壱岐では、囲われる=隔離されるようだ。カセは桛=紡いだ糸を巻き取る道具だろう。猫が嫌うわけは分からない。
 
 島には猫にまつわる言い伝えも多い。
「三毛猫は人を化かす」
「顔から額にかけて白毛が通っている猫も、主人を見捨てる」
「猫が仔をつれて入込んで来るのは吉兆」
「烏猫と云って真黒の猫はよい」
「猫に鯣(するめ)を食はすとアテイバリをする様になる」
「首をつまんで提げて、躰をちぢめる猫はよく鼠を捕るが、だらりを長くなるのは捕らない」
「尾の左巻きはよく鼠を捕り、右巻きは捕らない」
 
 迷信がおおいが、島民は猫をよく観察している。
野山からヨトボシ(遅くまでする仕事のことか)をして帰って来ると、真っ暗い人気のない家の中から、チョン(子猫のことか?)が鳴きながら走り出て来て足にすりつく。此の無心な小動物の悦び迎ふるしなにも、有心な家族のちやほやといふ歓び迎へに変らない気持を感じ、安らかな心で重い荷をおろすのである
 
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 2000年前、弥生時代後期からイエネコを飼っていた壱岐の島民の、今に受け継がれている猫への愛を感じさせる文章である。