法隆寺獅子狩紋錦は安禄山を描いたという仮説1

 発熱から立ち直ったものの、ボンヤリしている。
 法隆寺の四騎獅子狩紋錦についてのメモ書きをー。
 これまでさんざん触れている歴史学者の三宅米吉が、私費留学から帰国した明治21年、文部官僚のトップだった九鬼隆一に従って、和歌山、奈良県で神社仏閣の宝物巡見をし、法隆寺所蔵の獅子狩紋錦に注目して、すぐ「法隆寺所蔵四天王紋錦旗考」を発表した。

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 米吉は、大英博物館アッシリア、エジプト、ペルシャの展示品を見てきたため、とりわけ興味をもったのだろう。その論文中で、「第一解し難き」ものとして、馬に織られた漢字をあげている。

 上の図の「山」と「吉」。

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 円珠で囲まれた中に、2人の騎士は左右対称にデザインされている。「山」「吉」も左右対称なのが面白い。
「山」の騎士が上位に、「吉」の騎士が下位に。それが15個集まって旗になっている。制作年代や制作地の研究は、その後進んでいるが、漢字の意味について仮説も出ていない、と思う。
 デザインから考えると、「山」の騎士と、「吉」の騎士をセットに、なにか記念に祝って制作したものではないか、と考える。

 ずっとふさわしい武将がいる、と思ってきた。それは、「山」が安禄山。唐の玄宗相手に、叛乱したソグド人の武将。「吉」が安禄山の副将となった官僚の吉温。
 ただ、7世紀から8世紀初めとされる制作推定年代と、彼らが活躍した時期が半世紀合わなかった。


 写真は、三宅米吉著「考古学研究」(昭和4年、岡書房)から