続・ヘルマン邸のドイツ犬

 ヘルマンばかりか当時アジアで暮らしていたドイツ人の多くが、ドイツ犬を飼っていたようだ。シーメンス事件が起きた大正3年(1914年)の夏、日本も第一次世界大戦に参戦。ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟に宣戦布告した。
 大戦勃発を機に英国など連合国側は、上海の租界に居住するドイツ人を一斉に国外退去させた。
 本国へ強制返還される何人かのドイツ人が、上海で開業していた日本人獣医の元へ、愛犬を連れてきたという話が残っている。
 
 祖国に連れ帰ることが出来ないため、「愛犬を注射で殺してくれ」と依頼しにきたのだった。驚いた医師は「殺すのも惜しいじゃないか。だれかにやるか、預けることにしたらよかろう」と忠告したが、「俺ほどにこの犬を可愛がる人間はいない。そう思うと可哀想だから」と一人は答えたという。
 
 以上のことを、昭和14年12月21日付の「台湾日報」の岸東人氏のコラムで知った。
 
 その獣医師によると、ドイツ人には犬ばかりか愛馬の額に自ら拳銃を撃ちこんだケースもあったという。
「あの馬をイギリス人の手に渡すのは我慢ならなかった」と獣医に語ったという。犬の場合もまた、ドイツ人のイギリス人への敵愾心が背景にあったのだろうと、岸氏は推測している。
 
 当時はこういう動物の愛し方がまかり通っていたようで、愛された動物はなんとも哀れだ。
 
 ヘルマンの2頭の犬は、大正12年に帰国した際にそのまま、ヘルマン邸の番人に託されたようだ。一緒に番人と狩りをしたドイツ犬は、ゲオルグ・デ・ラランデ設計の豪華なドイツ館で、天寿を全うしたのだろう。
 若きマルキストが見た「狼のようなドイツ犬」は、そんな犬たちだったのだ、と思う。