
別所沼で数えると、26羽いる。今年はあちこちで見られそうだ。
キンクロハジロは、餌を貰えると勘違いしてか、対岸からいっせいにこちらにやってきた。

餌をもらえないと判ると、いっせいに、対岸の方へ戻ってしまった。

平忠盛(1096-1153)の墓は、手前の五輪塔という設定だった。忠盛の墓は残っていないので、どんな墓だったのか判然しない。映画では五輪塔に仕立てたわけだ。この時代、五輪塔の墓があったのだろうか、と思ったのだ。
映画中の五輪塔は「地輪」(最下部)が低く、笠のような火輪の勾配が緩く、上部2つの、風輪、空輪の形が独特なこと。

平安時代の五輪の特徴をつかんでいる(上図)。
特に上図3、旧成身院の銅鐘(長寛2年=1164)の内面に鋳出された五輪塔(神戸市徳照寺蔵)は、よく似ている。
京都撮影所内に時代考証の研究会を設立し、衣装考証(上野芳生)をはじめ、専門家を動員したのだという。
一点違和感を感じるのは、五輪塔の向こう側の石塔、宝篋印塔。宝篋印塔は半世紀以上後の13世紀に造り始められたはずだ。

「わが国において宝篋印塔が成立したのは京都で、それは一二三〇年代のことであった」(山川均「石造物が語る中世職能集団」山川出版社、2006)。
同書を繰ってみると、映画の宝篋印塔は、最古級の高山寺の宝篋印塔によく似ている。後世の宝篋印塔でも、最古のものを選んだのは、スタッフの配慮だったのかもしれない。