キンクロ飛来と、新平家物語の五輪塔と

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 日曜日、浦和の別所沼に行くと、キンクロハジロがもうやってきていた。昨年は、キンクロハジロの姿を見かけず、探し回った末、年を越して駒込六義園で数羽を発見したのだった。
 別所沼で数えると、26羽いる。今年はあちこちで見られそうだ。
 キンクロハジロは、餌を貰えると勘違いしてか、対岸からいっせいにこちらにやってきた。
 
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 餌をもらえないと判ると、いっせいに、対岸の方へ戻ってしまった。
 
 家に戻って、DVDで「新・平家物語」(原作・吉川英治)を見て過ごした。市川雷蔵扮する平清盛が、父の忠盛の墓前に手を合わせる場面があって、ふと気になった。
 
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 平忠盛(1096-1153)の墓は、手前の五輪塔という設定だった。忠盛の墓は残っていないので、どんな墓だったのか判然しない。映画では五輪塔に仕立てたわけだ。この時代、五輪塔の墓があったのだろうか、と思ったのだ。
 
 書棚の「五輪塔の起源」(藪田嘉一郎編、1967年、綜芸舎)を取り出して調べてみると、文献に残る最古の五輪石塔の墓は、仁安二年(1167年)だった。
 平信範の日記「兵範記」に近衛基実の遺骨を木幡浄妙寺に納め、五輪石塔を建てた記述があった(川勝政太郎「平安時代の五輪石塔」)。
 
 平忠盛は1153年歿。最古の五輪塔墓の例より14年ほど前だが、許容範囲と考えていいのだろう。墓でなければ、五輪塔の形は瓦模様で1122年までさかのぼるからだ。
 映画中の五輪塔は「地輪」(最下部)が低く、笠のような火輪の勾配が緩く、上部2つの、風輪、空輪の形が独特なこと。
 
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 平安時代の五輪の特徴をつかんでいる(上図)。
 特に上図3、旧成身院の銅鐘(長寛2年=1164)の内面に鋳出された五輪塔(神戸市徳照寺蔵)は、よく似ている。
 
 大映が力を入れて製作した「新・平家物語」(1955)は、永田雅一製作指揮の「大映カラー総天然色映画」で、溝口健二監督、宮川一夫撮影で臨み、平安時代末を再現するため、美術の力の入れ方も違ったとされる。
 京都撮影所内に時代考証の研究会を設立し、衣装考証(上野芳生)をはじめ、専門家を動員したのだという。
 
 撮影所の研究会が、相当吟味した証拠だろう。墓一つとっても、当時の映画製作スタッフの綿密さに感心する。
  
 一点違和感を感じるのは、五輪塔の向こう側の石塔、宝篋印塔。宝篋印塔は半世紀以上後の13世紀に造り始められたはずだ。
   
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わが国において宝篋印塔が成立したのは京都で、それは一二三〇年代のことであった」(山川均「石造物が語る中世職能集団」山川出版社、2006)。
 同書を繰ってみると、映画の宝篋印塔は、最古級の高山寺の宝篋印塔によく似ている。後世の宝篋印塔でも、最古のものを選んだのは、スタッフの配慮だったのかもしれない。