モズに「鷹狩」をさせた信濃の業師

 ワシ、フェニックス。シュメル文明からはじまって、世界の神話で太陽を背おってはこぶ鳥は、実在、空想をとわず、巨大で風格のある存在だ。
 だから、次の俳句をしって、ちょっと新鮮だった。
 
  かなしめば鵙金色の日を負い来   加藤楸邨
  ワシタカではなく、モズ=ふつうの鳥が日輪を背おっているイメージ。
 
 しかし、モズはただものでないことをしった。鷹狩につかわれたことがあったのだ。
 鎌倉時代の歴史書吾妻鏡」にしるされている。
 1206年のこと。三代将軍源実朝の前で、信濃・佐久の武士である鷹匠桜井五郎が、「モズでタカのように、鳥をとることができます」と豪語した。
 
  翌日、半信半疑の実朝、北条義時らの前に、五郎は左手にモズをとめた鷹狩の衣装であらわれ、見事草の中の「黄雀」=スズメ3羽を仕とめてみせたのだ。
「雉だってとれます」と自慢して、褒美の刀をもらっている。
 
 モズをタカのように仕こんだ信濃の鷹狩技術のレベルの高さにおどろくが、モズの潜在能力にも感心させられる。
 モズは体長19-20センチ。小柄のタカ、ツミの雄が27センチくらいだから、かなり小さく、スズメの14-15センチとあまりかわらない。
 それでも、モズが動物食で、昆虫、両生類のほか、小型鳥類、小型哺乳類もとってたべるのを、鎌倉時代鷹匠はみのがさなかったのだ。猛禽類の性質をもっていると。
 
 モンゴルでは、モズは以下の名がついている。
①「モンゴル ダラン ヘルト」=モンゴルの70の舌。
  色々な声色でなくからだろう。日本でも「百舌」と表記される。そっくりだ。
②「シャラ ショボーハイ」=黄色の小鳥
③「ドンゴドグチ ジグールテン」=さけぶ鳥
 
          ~徳広弥十郎「日蒙漢辞典」(ビブリオ)による
 
 名前からみると、モンゴルでも、猛禽のイメージはもたれていない。
 世界中の鷹匠でもモズを仕込んだ例はないのではないか。
 
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 桜井五郎のことは、 18世紀始めの絵入百科辞典「和漢三才図会」の「鷹匠」の項でも紹介されている。肝心な「鷹匠」の絵がまちがっているのが残念。日本では、鷹は右手にはとめません。