ダイヤモンド富士を撮り損ねる

 猫はしだいに元気になって来たので、
 
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この間行けなかった墓参りに細と出かけた。
 ともに父親を11月に亡くしているので、12月になる前に小平霊園から多磨墓地へはしごした。小平霊園には友人2人も眠っているので線香をあげ、結局4つの墓前に花を供えてきた。
 
イメージ 2多磨墓地の紅葉
 
 「ジンギスカン」はまだ、読み終わらない。
  訳者由良君美の父、由良哲次氏の方にも関心が出て来て、四方田犬彦「先生とわたし」を読み直した。哲次氏のことに触れていた。
  哲次氏は戦前、小説家の横光利一と交流があり、小説の主人公のモデルにもなったが、戦時中には哲学者としてヒトラーを賛美するようになり、神道に関心を持ち出したという。
  両者を結びつける「ナチス神道」が「先生とわたし」に出てくるが、そんな哲学を考え出したらしい。戦後は地方の私学を回って教鞭をとりながらひっそりと暮らしたという。
  1960年代、所有していた東京練馬区谷原の土地が道路建設(おそらく目白通りだろう)のために買い上げられ、数億円のお金が入ったのだった。哲次氏は、利殖の才があり、この金で株を買い、短期のうちに何倍にも増やし遺産は10億円あったとされる。ただし、贅沢を嫌い、質素な生活を送ったそうだ。
 戦後刊行した「古琉球語で解明する邪馬台国と大和」は、長男君美が尽力して出版にこぎつけたらしい。以前この本を図書館で借りて読んだことを思い出した。途中でもう、付いて行くことができず、止めてしまったのだった。もういちどチャレンジしてみよう。
  
  多磨墓地からの帰途、小金井街道の坂に人だかり。みな写真を撮っていた。夕陽が富士山の頂上に沈むところだった。ダイヤモンド富士の一瞬を待っている。 ガイジン旅行者と思しき人もケータイで待ち構えていた。
 
 撮影に失敗したので、7月撮影した夏の富士を。
 
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