「上杉茂憲」を読みながら沖縄の嘆きを想う

 知人に譲った迷い猫は相変わらず暴れているようすだが、おかげで知人からは、家庭に笑い声が絶えないと感謝され、ホッとした。
 我が家の猫は、今も医療用のカラーをつけた生活を強いられている。出張で5日間留守にして戻った処、猫が鼻に入れたチューブを出してしまったり、あげくにチューブを噛み切ってしまったりで、細は一日に2回も動物病院に行ったと、参っていた。
 
イメージ 1
 アマゾンから家に届いた童門冬二「上杉茂憲(もちのり)」を読み出す。副題が「沖縄県令になった最後の米沢藩主」。
 
 明治17(1884)年、ベルリン民族学博物館から明治政府へ琉球民俗資料を集めたいと依頼があった際、沖縄県令が機転を利かせて2つずつ用意し、一つが今も東京国立博物館に収めてある、 といったことを前に書いた。
 おそらくその賢明な県令が茂憲だろうと確かめるべく、簡単そうな本から読み出すことにしたのだ。
 本土から沖縄にやってくる役人に心無い人物が多いのが相場だが、上杉茂憲の評価は地元で高いのだ。山形・米沢にある上杉謙信を祖と仰ぐ上杉家の墓所の一角に、沖縄の有志が茂憲の顕彰碑を建てている、とこの本のまえがきにも書かれている。
 
 明治時代石垣島に測候所を作った立派な人物はいるが、本土の政策に沿って沖縄に無理強いさせる役人は、どうも手が付けられない。特に、明治にやって来たある司法の役人などは下の下とされる。現在も当時となんら変らないようで、地元の嘆きが聞えて来る。