猫嫌いになった人やボス猫のこと

 猫が嫌いな人がいる。どうしようもないくらい嫌いな人がいる。私が敬愛する文学者にも猫嫌いがいるが、理由があるようだ。
 中国の魯迅は、大事に飼っていたハツカネズミを猫に殺され猫嫌いになった。特に、猫が一気に命を奪わず、もてあそぶように,いたぶったのが強い嫌悪につながったと書いていたと記憶する。
 俳人水原秋桜子も、大事にしていた伝書鳩を猫に襲われて強烈な猫嫌いになった。
 
 いずれも、猫の狩りの習性、と冷静に割り切れないのが、襲われた小動物の飼主だ。猫は憎っくき存在にもなろう。
 
 昔、我家の猫は、近所に突如現れたボス猫にやられた。たびたび、ケガをして明け方に帰ってきた。僕は少し不安だったが、休暇を利用して、学友U君の田舎、能登半島能登部へ1週間ほど旅行に出ることになっていた。旅先から猫宛に「元気ですか」と暢気なはがきを投函したりしたが、田植え、畝作り、植林の矯正と、慣れぬ仕事を手伝わされ、くたくたな毎日だった。
 
 帰宅すると、まだ猫は戻っていなかった。しばらくして、母親が近所で、庭の池で猫が死んでいた話を聞いてきた。大ケガをしていたという。時期といいトラの毛色といい、うちの猫のようだった。
 
 ボス猫は、猛々しい猫だった。体が大きく、物を投げつけても動じない。フンとこちらを振り返ってバカにしたしぐさをする。その後も庭先を堂々と歩くボス猫を見つけると、懲らしめてやろうと思ったが、すばしっこく、風をきるように立ち去った。
 
 もし、あんな猫にハトやハツカネズミを殺されたら、猫嫌いになっただろうと思う。
 
 最近は、あんなボス猫を見なくなった。岩合さんの「世界ネコあるき」にも、登場しない。映画「猫なんかよんでもこない。」にボス猫が出てきたが、主人公の夢を託された、強いが性格のよい、主人公の飼猫だった。同じボス猫でも、ぜんぜん違う。
 
 弱いものをいじめる凶暴なボス猫は減ったのだろうか。それで、世に猫好きが増殖しているのだろうか。
 
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「つるぎ堂」の猫のはがき。いたずら好きな猫。意地悪ではなさそう。