嵯峨・二尊院で見つけた勅使門の椿

2017年気になったこと(2)

 

 この夏、嵯峨の二尊院にある勅使門で、椿の紋を見つけた。

 

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 気になったので、すこし考えてみる。

 まず、水天宮の紋が立ち椿なので関連を調べたが、勅使門が再建されたのが永正18年(1521)と古い。水天宮の安産とはつながりはなさそうだった。

 再建した人物は、公家の三条西実隆(1455-1537)。応仁の乱など乱世をくぐりぬけ83歳まで長生きし「非凡な凡人」との評価を受けている。再建した時は、67歳。

 実隆と二尊院の関係は深い。ここの僧侶に念仏浄土の教えを受け、父親の墓もここにあった。1526年7月3日、亡父の墓参をした際、夫妻の墓もここに造立することを決意、景色のいい場所を墓地に選んだ。

 
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 椿は長寿の象徴で、椿寿と言われる。

 長寿を願ってか、父親のことも椿堂、椿庭という。

 勅使門の赤い椿は、父親の弔い、あるいは自らの長寿の印として残したのではないか、ととりあえずの結論を出してみる。

 ここの勅使門は、珍しく一般客が通ることができる。天皇の命を伝える勅使しか通れない門として、今も閉じている所が大半なのに。

 後土御門、後柏原、後奈良の3代の天皇に仕え、しかも天皇とは深い縁戚にあった実隆。自分が通る門を勅使門としたから、今もオープンな雰囲気が残っているのだろうか、と想像した。