うちの猫は、捨猫だった。
動物病院が預かって、飼主を募集したのを、長男の知人Aさんが引き取った。その後、猫は飼主を転々。
また、Aさんのもとに戻ってきたとき、長男が気に入って連れて来た。初対面なのに、膝の上で眠りこけたのが、かわいかったらしい。
「一週間、ためしに飼ってみたい」と長男はいい、結局住みついてしまった。
猫を飼うのは久しぶりだった。高校生の時、猫が庭に入ってきて帰ろうとしなかった。すりきれかかった首輪をつけていたので、野良猫ではないようだった。
食べものを与えて、一日様子をみた。父親は「どこかの家の飼猫だろうから、このまま飼うわけにはいかない」と言った。
ちょっと、「はなれた所に放してくる」といって、猫を連れて行った。
猫は帰ってこない。
あきらめていたところ、三日目の朝、にゃあにゃあと庭で声がした。父親は「猫がうちを選んだようだ」といって、足を洗って家にあげた。
雑種のとら猫だった。
猫を飼うのに、積極的な思いがあるわけでない。猫との縁なのだ、と思う。
加藤楸邨句集「猫」の扉 見事な猫の絵
捨て子猫少女去りもうあてもなし
子どもらは、飼いたいな、と子猫をかまっていたのだろう。
日暮れて、最後まで可愛がっていた少女も、家に去ってしまい、子猫は独り取り残されてしまった。
捨てられたうえ、縁を結べなかった猫は、やはり、かなしい。
小さな川が幾つも流れる四十八ケ瀬で、ゴミにしがみつくようにしていたのだろう。
前書きに、「流れの中の芥に子猫二匹」とある。
五句のうちのひとつが、
秋草にお頼み申す猫ふたつ