こういう時は、原点へもどるしかない。
北方を支配し、民に富をあたえるので大人気。いつも宝石を身につけ、金の壺(鞄)を持っている。うまい物をたべているのだろう、お腹がポッコリ。
棍棒ももっているが、これは防御のためでなくて、地下にうまる宝をほりだすためらしい。
四天王が日本にはいったのは飛鳥時代。日本書紀は、蘇我馬子と物部守屋との戦い(587年)に参戦した聖徳太子が、四天王に戦勝を祈願。勝利したので593年に四天王寺を建てたとつたえる。呉から伎楽がつたわったのが612年だから、少し前。
毘沙門天は1)仏教信仰として、寺院に四天王の一つ、守護神としてつたわり、
2)民間の信仰としては、財宝神(伎楽の「呉公」)としてつたわったのではないか。
呉公は、青緑の顔をしているが、毘沙門天もまた体が緑と符合している。
ムカデの化身である財宝神の呉公と、仏教の毘沙門天とが日本でもう一度融合するにあたって、ムカデが毘沙門の使いという形をとって一体化したのだろう。そして、ムカデの背後には、橋作り、坑道作りの呉の土木技術があったと。

若尾五雄さんの「黄金と百足」には鉱山の坑道の坑脚をムカデとみる説も紹介してあった。