ムカデと鉱山民俗学の本をとりよせたら

 ムカデのおかげで、頭がこんがらがってきた。若尾五雄氏の「黄金と百足・鉱山民俗学への道」人文書院94年)をとりよせてよみだしたら、ムカデ資料が沢山でていて、収拾がつかなくなってしまった。
 こういう時は、原点へもどるしかない。
 
 ムカデを眷属とする毘沙門天をさぐってみることにする。毘沙門天の原型は、インドの神様クベーラ(KUBERA)という財宝神だ。
 北方を支配し、民に富をあたえるので大人気。いつも宝石を身につけ、金の壺(鞄)を持っている。うまい物をたべているのだろう、お腹がポッコリ。
 棍棒ももっているが、これは防御のためでなくて、地下にうまる宝をほりだすためらしい。
 
 仏教にとりいえられて、四天王の一つ、北方を守護する毘沙門天多聞天)になる。クベーラを継承し財宝の神として、四天王の中で一番の人気者になった。
 中国の民間信仰でも、右手に傘、左手に銀のネズミをもつ毘沙門天は、四天王の枠をこえて信仰された。毘沙門がゆくところ、お金がばらまかれると。
 
 四天王が日本にはいったのは飛鳥時代日本書紀は、蘇我馬子物部守屋との戦い(587年)に参戦した聖徳太子が、四天王に戦勝を祈願。勝利したので593年に四天王寺を建てたとつたえる。呉から伎楽がつたわったのが612年だから、少し前。
 
 毘沙門天は1)仏教信仰として、寺院に四天王の一つ、守護神としてつたわり、
      2)民間の信仰としては、財宝神(伎楽の「呉公」)としてつたわったのではないか。
 
 呉公は、青緑の顔をしているが、毘沙門天もまた体が緑と符合している。
 ムカデの化身である財宝神の呉公と、仏教の毘沙門天とが日本でもう一度融合するにあたって、ムカデが毘沙門の使いという形をとって一体化したのだろう。そして、ムカデの背後には、橋作り、坑道作りの呉の土木技術があったと。
  
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 若尾五雄さんの「黄金と百足」には鉱山の坑道の坑脚をムカデとみる説も紹介してあった。