たたら製鉄の番子の鉢巻

  色のことは、色の専門家の話に耳を傾けるのが一番だろう。赤い鉢巻のことだ。
 「 上村 六郎染色著作集5」に「たたら師の赤い鉢巻と赤褌」という一稿があった。
 
 「『山陰民俗』第十号によると、池田和生氏の『千種たたら聞書』と云う報告の中に、兵庫県宍粟郡千種村鉄山のたたら師の服装として、赤鉢巻に赤褌が用いられていたことが記されている。時代のことはハッキリ分からないが、つい近年のことであるらしく、(中略)明治から大正あたりのものと考えられるのである。
 ところで、その鉄山の、たたら師の服装であるが、池田氏によると、『番子は赤布の向こう鉢巻、赤褌で作業したが、その理由は今ではよくわからない。金屋子神が赤い色を好むのだとか、鉄が真赤に熔けるようにだとかいう人もあるが、想像の域を出ていないようである。』と記されている」
 
 たたらとは、大型のふいご(送風装置)のことで、風を送って、炉内の木炭の火力を維持して、砂鉄を精錬した。番子はこのふいご、つまりたたらを踏む役目で、代わる代わる踏み続けたという。番子は、力士のような、強靭な男が担当した。
 上村氏は、「思うに、この赤い鉢巻や赤い褌は、漁夫の赤い褌と、多分同じ目的のものであって、即ち一種の厄よけであり、従って呪的な色の使用の一つの例であろうと思われる」と結論している。
  私には、それだけとは思えない。たたらと相撲の関係が深いと考えられるからだ。相撲で、土俵を割りそうになって踏みとどまる様子を「たたらを踏む」という。たたら製鉄の番子の様子から来ている。地団駄を踏むも、地蹈鞴(ぢたたら)を踏むから生まれたとされる。
 たたら製鉄は古代から存在している。小子部スガルや埴輪の時代に当然遡る。赤い鉢巻に赤いまわし。
 
 近代にいたるまで、番子に古代の力士の姿が残されていたのではないか。
 
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井辺八幡山古墳の力士埴輪は、まわしも赤だったことになる