古代の弥勒仏を調べ出すと、膨大な資料を読まないとならないことが分かった。せめて、要点を掴もうと試みると、早速邪魔が入った。
「一緒に遊んでくれ」と、猫がデモンストレーションを起こしたのだ。パソコンのキーボードの上に坐り込んでしまった。追い払うと、また机の脇からこっそりと上ってきてキーボードへ。
余計なことを考えるより、猫と遊ぶ方がいいかとも思うが、猫をうっちゃりながら、少しは手がかりを得たい。
さて、台座に腰かけた倚像の古代仏だが、その後次々見つかったのだった。7世紀から8世紀の「押出仏」、「塼仏」というジャンルの小仏像として、作られていた。
浮彫(レリーフ)の小さな仏像であり、元の仏像(雌型)に、薄い銅板、あるいは粘土を乗せ上から叩き、あるいは押し付け、複製をつくるものだ。コピーなので、短期間に多くを製造することが出来る。
法隆寺や當麻寺奥院に伝わる鋳出仏(雌型)、押出仏を見て、前回の表に上げた奈良・桜井市の石位寺の石造浮彫「伝薬師三尊像」と、同じ様式だったことが分かった。共通する元のデザインがあったことは間違いない。
奈良県名張市の夏見廃寺で出土した塼仏には、同タイプながら、さらに装飾を加えた如来三尊倚像がある。
=これらを一応Aタイプとする。
興味深いのは、奈良の長谷寺に伝わる国宝「長谷寺銅板法華説法図」にも、如来三尊倚像の浮彫があることだった。(長谷川誠氏「長谷寺銅板法華説法図の荘厳意匠について・上」駒沢女子大学研究紀要第8号、2001)
説法図の上部左右に、上記の三尊像に似た2つの「方画三尊倚像」があり、長谷川氏によると、これらが、説法図の「弥勒龕」に当たる位置にあることが明快に記されていた。
同像がまぎれもない「弥勒仏(弥勒如来)」であることが知れた。=Bタイプ
A、Bタイプの違いは、印相の違い。
Aは、定印(法界定印)。
両掌を上にして膝上で上下に重ねた印相で、如来が思惟、瞑想する姿とされる。
Bは、施無畏与願印。
右手を挙げて掌を前に向け、左手は下げて掌を前に向ける印相で、衆生の願いを叶える姿とされる。
ともに、如来の印相であるが、釈迦か薬師か弥勒か種類の識別は出来ないのだった。Aタイプもまた、弥勒仏である可能性は十分ある。
深大寺の釈迦如来倚像に戻ると、衣紋、頭部などAタイプの夏見廃寺の三尊倚像に近く、印相は、Bタイプであることが分かった。
塼仏には、壺坂寺出土の如来倚像のような独尊のものもあるが、深大寺の「釈迦如来倚像」は、弥勒三尊倚像であり、脇侍の法苑林菩薩、大妙相菩薩、そして光背、蓮台は散逸してしまったのだろう。と、とりあえずの結論を出してみる。