考古学者で、文化財調査でも業績を残した柴田常恵氏について、いままで度々触れてきたが、深大寺の「釈迦如来倚像」についても同氏が明治時代に撮影した写真資料を残していた。
WEBで「國學院大學学術フロンティア構想柴田常恵写真資料目録Ⅰ」の東京の部をクリックすると、白鳳仏の正面、左右、後方など5点を見ることが出来る。実にありがたい。写真には、「武蔵深大寺釈迦銅像 高 二尺七寸 鍍金ノ痕跡アリ」とキャプションがついている。
というのも、柴田氏こそ、この仏像を発見した人物だからだ。明治42年(1909年)、深大寺を友人と訪れ、同寺の元三大師堂の壇下でゴロンと横たえられていた金銅仏に気づいた。それがキッカケで、調査が始まり、貴重な文化財であることが判明したのだった。
私が今回この資料を見て気にかかったのは、柴田氏のこの写真資料「東京」の部に、深大寺仏とともに、別の「倚坐の仏像」の写真があったことだ。
「武蔵南多摩郡横山村散田 真覚寺薬師銅像」とある。調べると、八王子市郷土資料館に寄託展示されている高さ22.5㌢の「真覚寺薬師如来倚像」だった。現在は、八王子市指定文化財で、薬壺を思しきものを、右掌で持っている。これも伝白鳳仏なのだという。
ヨーロピアンスタイルで坐る古仏は、どれだけあるのだろう。ざっと調べてみた。
場所 |
寺院 |
名称 |
像高 |
東京・調布市 |
深大寺 銅造 |
釈迦如来倚像 |
83.9cm |
奈良・桜井市 |
石位寺 石造浮彫 |
伝薬師三尊 |
118cm |
正暦寺 銅造 |
薬師如来倚像 |
40cm |
|
東京・八王子市 |
真覚寺 銅造 |
薬師如来倚像 |
22.5cm |
山形・真室川町 |
山神社薬師堂 銅造 |
如来倚像 |
53.5cm |
とりあえず5像だけ見つけた。大和国2、武蔵国2。出羽国の真室川町の仏像は、戦国時代に近江国鯰江から招来したとの言い伝えがあるという。
5像あるうち、薬壺を持っているのは、先の真覚寺の仏のみだが、他の2点も「薬師如来」として伝わっているのだった。なにか訳があるのだろうか。
薬壺を持った薬師如来についても、調べる必要が出て来た。
Webで見つけた興味深い論文が、奥田潤氏「薬師如来像の薬壺の研究から私が学び得たもの」(薬史学雑誌、2014年)だ。
論文によると、日本では、最古の法隆寺、法輪寺の薬師如来は薬壺は持っていない、奈良時代以前には持つ仏はなく、まれに宝珠を持った像がある。平安時代の913年の醍醐寺の国宝の薬師如来が薬壺を持つ早い例で、平安後期以降続々と薬壺が登場する。
さらに、鎌倉時代になると薬師如来の古仏に、薬壺だけ後補して付け加えた。法隆寺西円堂、新薬師寺、神護寺の如来(いずれも国宝)は、いずれも後で付けたものだった。
後補したものでなく、しかも平安時代以降のものでないとすると、真覚寺薬師銅像の右手の薬壺は、大変珍しいものであることになる。
調べてゆくと、謎が増えてくる。