かき氷の氷旗

 かき氷の旗は、「氷旗」というのだそうだ。定番の「波千鳥」の模様がどこまで、さかのぼれるか。千鳥が加わるのは、そんなに古くなさそうなことだけ分かった。
 
 先人の努力の蓄積は、頭が下がるし、ありがたい。皆川重男さん、中島満さんが、氷業史の史料を集め、整理、分析されていた。
 
 氷の大きな文字は、1878年(明治11)、内務省の「氷製造人並販売人取締規則」によって、氷の産地を大書した看板を掲げなければならなくなったのがきっかけらしい。氷旗の模様に、波が登場したのは、氷業の先覚者、中川嘉兵衛翁の函館産の氷旗からだったようだ。
 
 氷と産地を入れただけの氷旗もあったなかで、函館・五稜郭外堀で天然氷を切り出して販売した中川翁は、1877年(明治10)、「函館氷」「天然氷」の文字の旗に、龍が舞う図柄をデザイン。そのせいか「龍紋氷」と呼ばれたらしい。
 
今に伝わる”氷字の下に水流模様”の原型になったとみられる」と中島満さん(「夏の風物詩氷旗に見る天然氷」=自遊人2003年9月号)。
 
 龍ばかりか波も描かれていたということのようだ。
 
 
 一方、関西で氷業を始めた”西の氷王”山田啓介もまた、函館の氷を販売し、1883年(明治16)、会社名を「龍紋氷室」とした。龍紋氷室の氷旗にも、「官許 氷 龍紋氷室」の文字の下に、力強い波が描かれている。(皆川重男「氷業史資料文献目録」=1966年=の表紙)
 
 
 同年、ニューヨークで発行されたエドワード・グリーの「The wonderful City of Tokyo」に日本の氷屋のイラストがあって、「函」「氷」と文字が書かれた看板の下に、波が描かれている。「函」は函館であろう。東京なので、中川翁の龍紋氷と推定できる。
 
 いずれにしろ、波のデザインは函館産の氷のトレードマークのようになっていたようだ。
 
  では波千鳥は? 明治の資料では、まだ目にしていないのだ。前に引用した中島さんが「今に伝わる”氷字の下に水流模様”の原型」と記して、「波千鳥模様の原型」としていないのも気になる。つまり、千鳥が書き足されたのは、後のことで、水流紋とは別のデザインの発想があったようだ。
 
 昭和に入ってから、あるいは戦後からなのかもしれない。ゆっくりあたってみよう。
 
 
 
イメージ 1千鳥抜きの波の紋は明治初期から
 
 イメージ 2 波千鳥は、昭和以降らしい