夏の終わりに壱岐のイソヒヨドリを思い出した

 壱岐の勝本漁港で、夏休みを過ごしたことがある。 
 港に沢山のいか釣り船が停泊していた。
 つりさげられた集魚灯は、予想以上に大きく、よく磨かれていて数も多かった。
 夕方、発電機で灯ると、予想以上に眩ゆい光だった。
 沖合に出航すれば、この光につられて、いかが集まってくるのだ、と納得した。
 いまでは、効率のいい、発光ダイオードにかわったようだが、その導入前のことだ。
 
 宿にした、丘の上の深山荘の窓から、沖の漁火が見え、うっとりと眺めた。
 何日目かの夜だった。
 闇のはずの漁港に救急車、パトカーのライトが点滅した。
 はりつめた空気が遠くからでも感じられた。
 漁港の関係者なのだろう、次々と集まってきた。
 
 やがてエンジンの音がきこえ、漁船が一艘戻ってきた。
 鋭くさけぶ声がきこえた。
 数人の救急隊員が船にのり、男を運び、救急車に入れて走りさった。
 
 早朝、漁港へおりていった。
 若い漁師が巻き上げ機に巻き込まれて大怪我をした、ということだった。
  命に別状がないと聞いて、少しホッとして朝食をとりに、丘の上に宿に戻ると、青い鳥がとまっていた。
 
 見知らぬ鳥だった。背中が暗青色で、胸腹は赤褐色。
 
 
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 ユーラシア大陸やアフリカ大陸では、岩場のある高山地帯に生息しているのに、日本では、海岸地帯に生息しているのだそうだ。日本のイソヒヨドリは、海が気にいってしまったようなのだ。
 
 いか釣り漁船事故と、イソヒヨドリが、壱岐・勝本の思い出で、つながっている。