黄砂の報に、有翼日輪やら諏訪のカラスをおもう

 中国大陸から黄砂とともに、pm2.5が飛来するとの報道がさかんだ。
 太陽に三本足のカラスが棲むという中国生まれの伝説は、この黄砂の賜物である、との話を思い出した。絶版になったが、斎藤尚生「有翼日輪の謎」(中公新書)という興味深い本に書かれている。
 なぜ、中国では、エジプト、メソポタミアのような翼をもった日輪像が生まれずに、
 
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三本足のカラスの棲む太陽となったか。
 
 古代エジプトでは、皆既日蝕のとき、コロナが翼をひろげたようにみえる赤道型コロナが観測された。左右に大きくのびるので、まるでワシタカ類の翼。
 有翼日輪の図柄をうんだのは、この皆既日食の目視体験からだというのだ。
 ツタンカーメン王の墓にあざやかな有翼日輪がえがかれたのも、在位中の紀元前1352年に皆既日食ナイル川沿いの地域で発生したから、との仮説をたてている。この時代は、太陽の活動がミニマムの時期に当たっていたので、コロナがより美しくみえたのだという。
 
 一方、中国で三本足の烏が生まれた漢代(紀元前206-紀元220)は、反対に太陽の活動が活発だった「ローマ・グランドマキシマム」の時期。巨大黒点がみられたはずという。人々は、目をいためるため太陽を直視しないが、「黄塵が舞い上がり始めると、何日も何日も太陽がシルエットとして浮かんで見える。そういう太陽なら肉眼で大黒点がいつでも観測できるはずである」と著者は書いている。
 黄砂のために目視された巨大黒点が、太陽に住む黒いカラスに見立てられたというのだ。
 
 
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 太陽に棲むとされるカラス。漢代の図像には、2本足のカラスも描かれている。
 
 太陽のカラスといえば、日本の神社に古い印章があって、気になっている。
 
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 長野県諏訪市諏訪神社上社の印だ。
 鎌倉時代の武士が武芸を競ったという競技場の跡、旧御射山遺跡を訪ねた際、伊藤冨男「御射山祭の話」という本を見つけたのだ。
 本で、上記の印章の写真が掲載されていた。著者は「官幣大社諏訪神社上社の御宝印にして諏訪大明神の御玉会と称したる御神形也」と記していた。古社の諏訪神社には、上社と下社がある。
 
 何を象ったものか、よくわからなかったが、左に90度回転すると。
 
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 鳥のような姿が見えて来た。
 諏訪神社の上社は日神、下社は月神と考えれば、上社のこの印章は、まさしく三本足のカラス像ではないか。