熊本の人が岡山や兵庫で描かれるのは普通は考えにくいが、肥人は古代に牧を作るために、瀬戸内海沿岸に入植していたのだ。
東洋文庫の吉野裕氏の口語訳で。
「右 猪飼とよぶのは、難波の高津の宮に天の下を治められた天皇(仁徳天皇)のみ世に日向の肥人朝戸君(あさへのきみ)が天照大神のおられる舟の上に猪を持参してきて献上し、どこで飼ったらいいか、[その場所を賜わるよう]求め、申し上げて[お言葉を]待った。そこでこの場所を賜わり、猪を放し飼いにした。だから猪飼野という」
熊本の人=鉢巻おじさんが、瀬戸内海沿岸の須恵器に描かれるのは不思議ではない、ことになろう。