京都・伏見の蔵元を訪ねたことがある。
後の半年は寝て暮す ヨーオイ ヨオーイ デッカンショ」
というデカンショ節を思い浮かべた。
「灘のお酒はどなたが造る アヨイヨイ
デカンショ節は、半年寝て暮す身分を、つぎつぎ列挙する。
「丹波与作は馬追いなれど 今じゃお江戸で二本差し」=武士になった駄賃馬の馬方、
「丹波篠山山家の猿が 花のお江戸で芝居する」=江戸で一旗あげた役者。
感心するのは、この歌が明治の終わり頃から、旧制高校の学生歌に変容して広がったこと。智恵者が、デカンショは、デカルト、カント、ショーペンハウエルの哲学者たちの略称なのだと、牽強付会したのが大ヒットだった。
私の印象では、丹波には、そこはかとないユーモアが漂っている。
丹波エー ハアー与作の馬追い姿 ハアー霧に ハアー消え行く アリャ鈴の音
(丹波馬方節)
丹波のとあるJRホームで見かけたユニークな椅子。線路に対して垂直に設置されている。というのも、線路に平行だと、ベンチで酔って眠っている客があわてて立ち上がって、線路に転落することがあったためという。