半年寝て暮す篠山デカンショ節

 京都・伏見の蔵元を訪ねたことがある。
 酒造りは、10月初めから春先の約半年間。但馬杜氏がやってきて、新酒を拵える。造り終えた後、杜氏は帰郷してしまうが、休業補償もかねて、1年間の「給料」を支払っていると蔵元は話していた。
 
デカンショデカンショで半年暮す アヨイヨイ
 後の半年は寝て暮す ヨーオイ ヨオーイ デッカンショ」
というデカンショ節を思い浮かべた。
 
 丹波篠山の「デカンショ節」には、杜氏丹波杜氏)を歌った一節がある。
「灘のお酒はどなたが造る  アヨイヨイ
  おらが自慢の丹波杜氏  ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ」。
 
 デカンショ節は、半年寝て暮す身分を、つぎつぎ列挙する。
丹波与作は馬追いなれど 今じゃお江戸で二本差し」=武士になった駄賃馬の馬方、
丹波篠山山家の猿が 花のお江戸で芝居する」=江戸で一旗あげた役者。
 
 感心するのは、この歌が明治の終わり頃から、旧制高校の学生歌に変容して広がったこと。智恵者が、デカンショは、デカルト、カント、ショーペンハウエルの哲学者たちの略称なのだと、牽強付会したのが大ヒットだった。
 デカンショの哲学を読んで半年勉強し、後の半年は寝て暮すという、弊衣破帽の暢気な旧制高校の学生生活にも、デカンショ節の内容は当てはまる。
 
 私の印象では、丹波には、そこはかとないユーモアが漂っている。
 
 丹波エー ハアー与作の馬追い姿 ハアー霧に ハアー消え行く アリャ鈴の音
 (丹波馬方節)
 
 丹波霧も有名だ。亀岡―天引峠―篠山―柏原―福知山と、霧の山中、駄賃馬を引く馬方の与作が、どういう経緯でデカンショ節に登場する「江戸の二本差し」になったのか、別に物語があるはずだ。
 
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 丹波のとあるJRホームで見かけたユニークな椅子。線路に対して垂直に設置されている。というのも、線路に平行だと、ベンチで酔って眠っている客があわてて立ち上がって、線路に転落することがあったためという。