AUDUBONのかささぎ
かささぎについて、妙な話(扶桑略記、拾遺往生伝)がある。
玄昭がかささぎを護摩壇の火にくべて焼いてしまうと、今度は小人の法師になって現われる。ノイローゼになった玄昭を救うために弟子の浄蔵が霊を調伏する。
奇妙な話にかささぎが絡んでいる。
真済を怨霊に仕立てたのは、後世の宗派間の対立、いざこざが原因とされてもいるが、どうも無理がある。
道真を追い落とした時平が39歳の若さで亡くなったことから、道真の怨霊によるものと伝えられた。
「大鏡」では、道真は雷神となって現れたと書かれている。
「扶桑略記」には、時平が道真の怨霊を鎮めるため、浄蔵に祈祷してもらったが、道真が現われ制止したので浄蔵が調伏を辞退。ほどなく時平は死んだとされる。
話を戻すと、かささぎの霊が現われた宇多上皇の亭子院(ていじのいん)は、道真の没年に、皇太夫人藤原温子が移り住んだ処で、温子は道真の怨念の対象時平の妹にあたる。真済の怨霊を沈めた浄蔵は、道真の霊を鎮めようとして失敗した僧であること(「扶桑略記」)。
真済の名を借りているが、かささぎの怨霊は道真と考えるのが自然だろう。「扶桑略記」が書かれた11世紀終わりには、道真といえば「かささぎ」だったのだ。