女御を口説いた獅子枕

 やはり、原典に目を通さないといけない。「十訓抄」に書かれた、右大臣が獅子の陶枕を女御に贈った話を読んでみた。内容はー。 
 
 徳大寺の右大臣が女御に懸想したものの、言い出しかねていた。獅子の陶枕を贈ることを思いついて、雁皮紙のような薄い紙に、思いを歌に託し、こっそり獅子枕の隙間に詰めこむ作戦を思いついた。
 贈られた女御は変わった陶枕なのでよく見てみると、隙間に詰め物があるのに気付いた。右大臣の歌を読んだ女御は心を開いたという。
     
「十訓抄」(小学館)の浅見和彦氏の校注をみると、徳大寺の右大臣とあるものの、その人物は徳大寺公継でなくて藤原公能、あるいは、その子藤原実家(さねいえ、1145-1198)の実話をもとにしているのではないか、としている。
 実家が自撰歌集「実家集」で、この経緯を詞書に記しているためだ。詞書には、手紙を詰め込んだ隙間も、獅子の口の奥深く、と特定していた。
 
 となると、隙間さがしで「十訓抄」の陶枕が分かる。北宋の獅子の陶枕か、あるいは金代の虎の陶枕か。虎の陶枕の口には、穴も隙間もない。ブルックリン美術館蔵には、鼻の穴が2つあるが小さい。
 一方、東京国立博物館の横河コレクションの、獅子の陶枕には、目、鼻とともに、口角に穴があった。
 
  
 女御へ贈ったのは、やはり獅子の枕なのだった。東博へ行った折は、「十訓抄」の”口説き枕”を思い出しながら、獅子の陶枕の口元を観察することにしよう。