息子から貰った新刊本を、三連休に読み進んだ。
冥界と行き来した伝説のある平安時代の小野篁についてまとめた繁田信一「小野篁その生涯と伝説」(教育評論社)だ。
伝えられる嵯峨天皇との「なぞなぞ」のやり取りについても、丁寧に書かれていた。
「子」が12個並ぶ「子子子子子子子子子子子子」を何と読むかと問われ、篁は
「ねこノここねこ ししノここじし」(猫の子仔猫鹿(しし)ノ子仔鹿)
と答えたという逸話だ。
子は、「ね」、「こ」、「し」と読めるので正解だった。(宇治拾遺物語)
このほか、嵯峨天皇は「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」を何と読むか謎をかけ、それもすらすらと答えたのだった。(十訓抄)
「一伏三仰」が、ポイントで、これを「月夜」と呼んで正解。当時「むきさい」と呼ばれる裏表だけのサイコロ遊びがあって、4個降って、1個が伏せて、3個が上向きになるケースを「月夜」といったという。篁は「月夜には来ぬ人待たるー」と謎を解いたのだった。
繁田氏は、江戸時代まで篁が影響を与え続けたことを付け加えていた。江戸時代の寺子屋で用いられた教科書(往来物)に、「小野篁歌字尽」と、小野篁の名がついた漢字教科書があったことだ。
「後世の人々にとっては、正当な学問の神さまの菅原道真よりも、機智で嵯峨天皇を感心させた篁の方がよりふさわしいと見做したことになる」と、「頓智に通じるような機智に関してであれば、小野篁こそが、最高の権威だったのかもしれない」と書いている。
「小野篁歌字尽」は歌で漢字を覚える学習法で、例えば、
「春つばき 夏ハゑのきに 秋ひさぎ 冬ハひらぎに 同じくハきり」と歌って、
木篇に春、夏、秋、冬、同を添えた、椿、榎、楸、柊、桐の漢字を子供たちは覚えたのだという。
この歌字尽の最古の本は寛文年間(1661-1673)のものが残っているそうだ。
蕪村の「春をしむ人や榎にかくれけり」という句を私は思い出した。
桜が散り、春を惜しむ風流人が、若芽の出てきた榎の向こうに消えたといった句で、やがて夏を迎えようとする気配を、榎という漢字が醸しているように思う。
1716年生まれの蕪村も子供の頃「春つばき 夏ハゑのき」と、寺子屋で「小野篁歌字尽」を歌っていたのかもしれない。