赤い椿も青黒く染めてしまう烏草樹

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 仁徳記の石の比売のくだりに、染色に関わるものが集中しているように思う。
 赤い紐が濡れて色が落ち、青摺りの衣が赤くなった話のほかにも、「烏草樹(さしぶ)」や「椿」と染色関連の草木が出てくる。
 
 夫の仁徳天皇に嫉妬した石の比売の歌。
 
  ~河の辺に 生ひ立てる 烏草樹を 烏草樹の木 其が下に 生ひ立てる 葉広
  ゆつ真椿 其が花の 照り坐し 其が葉の 広り坐すは 大君ろかも
 
 《山代川の川辺に生えているサシブの木、その下で庇護されるように、葉を広げ、椿が赤く輝いて咲いている。それはまるで、大君のよう》 
といった意味でよかろうか。
 
 この烏草樹を、染料として捉えたのが、幕末水戸藩に仕えた国学者栗田寛の「標注古風土記」。出雲風土記の佐世郷の条で、佐世乃木について、
 佐世乃木は「和名抄」に烏草樹とあり、古事記仁徳の段に、佐斯夫袁 佐斯夫能記(さしぶを さしぶのき)とある。此の木葉を搗いて、その汁で衣を染めれば、茜の色のようだ
と注をし、さしぶを赤の染料のように記した。ちょっと人騒がせだったようだ。
 栗田氏が指摘したように染料であるのは当たっていたのだが、赤ではなかった。中国南部の壮族らは、さしぶ(南燭ともいう)の葉を搗いて作った汁に、もち米をつけ蒸して色のついた飯を拵える風習を持っている。
  その色は赤ではなく、暗青色。青黒く色のついた「青精飯」を節季の祝いで食べる。「烏米飯」ともいうから、黒に近いようだ。
 
 
「さしぶ」は、道教でも価値の高い草木とされている。「さしぶ」は、侮れない植物のようなのだ。
 石の比売の歌では、さしぶを磐姫の父で軍事的権力も持つ「葛城襲津彦」に例えているように私には見える。
 
 青黒く染めることができる、さしぶの庇護のもと、大君は赤い椿のように輝くことが出来ているのですよ、青摺りの衣が赤くなったのと反対に、赤い椿が場合によっては青黒く染まることだってあるのですよ、と言っているのではないか、と。 
                                               
 椿も、椿の灰は媒染剤として重宝され、染料の茜草は椿の灰の媒染で赤く発色するという。別に登場する「柏の葉」も黒の染料に使うケースがあるそうだ。
 
 稗田阿礼なのか、太安万侶なのか。仁徳記の石の比売の下りは、染色にこだわって、工夫して描いているように思えて、とても興味深い。