クレナヰのヒモに到達するのも難しい

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 古代の色の話は大変難しいことが分かった。
 古事記」では、黒、赤、青、白の4色しか記載がなく、どうやら黄色の概念がなかったらしい。
  佐竹昭広「古語雑談」平凡社ライブラリー)に書かれている。
  いろいろな色があっても、その4分類に当てはめられているので、今の色の見方で推測したり、考えては、根本的に間違ってしまう。
  赤といっても、黄色が含まれ、青といっても緑が入る。
  沖縄や秋田の一部では、黄色と青色が、オー、オールと同じ言葉で表現され、2色が区別されていないところもあったのだという。
  
 仁徳記の「青摺の衣」は、青だったのか、緑だったのかも分からない。
 紀貫之に「足引の山あいにすれる衣をば神につかふるしるしぞと思ふ という歌がある。
 歌のように、山藍で摺ったのが青摺衣とすると、ヤマアイは藍の成分が含まれて居ないので、青く染まらずに緑色に染まったらしい。
 
 この辺りをはっきりさせないと、議論は進まない。
 壬生幸子「仁徳記・丸邇臣口子の青摺衣と「紅紐」の訓」を読んだ。仁徳記の紅紐の「紅色」がどう呼ばれたか、それすらハッキリしていないと指摘している。
 クレナイノイロ
 アカイロ
 アケ
 アケノイロ
と現代まで、バラバラの解釈なのだった。
 壬生さんは、奈良時代の紅の訓はクレナヰであること。そして、クレナヰは「染色としての意識をもつ語」であり、アカが「色目をあらわす語という意識がつよいとおもわれる」ことを発見した。
  赤い色でも、染めに関する表記は「紅」に限られたというわけだ。従って、仁徳記の紅紐は「くれなゐのひも」。
  こういう基礎作業をしていかないと、仮説を立てても砂上の楼閣となってしまうのだ。