天明期の京の俳人富土卵(とみ・とらん)の手がかりを求めていくと、親交のあった俳人西村定雅に行き当たった。土卵は、京で人気だった定雅の洒落本に影響を受けて洒落本を書いたとされ、二人は京都東山の雙林寺の門前で近所付き合いをしていた。 大正時代に…
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