スガとタギの世界観

 
 きよきよしい、か、すがすがしい、か。 キヨかスガか。結構難しいと考えている。
 
 4、5世紀に但馬を治めた人物、多遅摩清日子(清彦)の呼び方である。渡来した天之日矛が但馬で生んだ子供であり、神功皇后の祖でもある(古事記)。倉野憲司校注「古事記」(岩波文庫)では、清日子は「きよひこ」のルビがついている。
 
  しかし、前々から「すがひこ」でないのかと、私は思っている。というのは、
1)「きよひこ」と読むという表記がないこと。
2)清日子が妻の当摩(タギマ)咩斐(メヒ)と生んだ2人の子の名が、「スカ(酢鹿)ノモロオ(諸男)」「スガカマユラドミ(菅竈由良度美)」と、「スガ」「スカ」の名が付いていること。
 父親のスガヒコの名を、子供2人がついで、「スカ」「スガカマ」と命名されたと、考えたほうが自然だと思われるからだ。
そして、
3)スガとタギマの密接な関係があることだ。
 古語で、すがすがしい=順調ですんなりすすんでいるさま、と、たぎたぎしい=ごつごつしてはかどらないさま、正反対の意味の、この2つはセットになって登場することが多いのだ。
 
 時代は少しくだるが、6世紀用明天皇の皇女に、「酢鹿手姫(スカテヒメ)皇女」(日本書紀)がいる。古事記では「須賀志呂古郎女(スガシロコノイラツメ)」。スガ、スカの名がついているが、古事記では母は「当麻倉首日呂(タギマクラオビトヒロ)」、同母兄は「当麻皇子(タギマノミコ)」。スカ、スガとタギが混じっている。
 
 当時の世界観に、陰陽のように、スガとタギの2要素が混在して、あるいはペアとなって、始めて安定するとの考えがあったことを伺わせる。記紀神話でも「多芸志(タギシ)」の地名の近くに「須賀(スガ)」があったり、タギとスガの対が目に付く。
 
 タギマノメヒを妻とし、スカノモロオ、スガカマユラドミの子を作った「清日子(清彦)」は、キヨヒコでなくスガヒコでないかー。自然と結論が出てくる。
 
 日本書紀を現代語に訳した宇治谷孟氏は、人名にルビをつけているが、「清彦」だけは、ルビがない。はっきりしないという、宇治谷氏の見識がうかがわれるようで興味深い。

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