寛永通宝は内モンゴルでも

 
寛永通宝 」など江戸時代の銅銭が、インドネシアのバリ島で出土していたことが分かった、
 
と昨日付の読売新聞が報じていた。
寛永通宝は、海外でも通貨や装飾品として流通し、北はアラスカから、南はベトナムまでアジアを中心に多数
 
見つかっているが、バリ島は最南端となる」という。
 
江戸時代の鎖国を考えると不思議に思えるが、寛永通宝は、寛永年間から幕末まで鋳造され、
 
明治時代も通用していたらしいから、国外で見つかるのは、そんなに珍しくないようだ。
 
戦前、内モンゴルのシリンゴルにある貝子廟の祭壇近くで、乾隆通宝、嘉慶通宝など清の貨幣に混じって
 
一枚の寛永通宝を発見した驚きを、都竹武年雄さんが書いていた記憶がある。
 
 
寛永通宝は、研究が進んでいて、文字の体裁、裏の文字、模様から、年代、鋳造地(江戸芝縄手、亀戸とか、
 
信州・松本とか)も分かるようだ。
 
バリで発見されたものも、もっと詳しく分かるはずで、情報がものたりない。
 
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モンゴル・ウランバートルの街中で、若い男性から、清代の貨幣を土産用に買ったことがある。
 
直径49ミリほどの大きな「正徳通宝」で、裏は龍虎の文様と、「正徳銭富萬年」
 
の文字が入っている。
 
ちょっと、ニセモノっぽいなあ、と思いながらも、大事なモンゴル土産としてひき出しに保管している。