比叡の大蟻伝説とヘロドトスの大蟻

 孫娘のおかげで、蟻について気に留めていたことを思い出した。

 比叡山と比良山系の2つの滝に、「大蟻伝説」があることだ。不思議な大蟻なのだ。

1) 大津市坂本本町 「蟻が滝」の大蟻伝説

 若き日の伝教大師最澄が、日吉大宮の橋殿あたりから比叡山を目指し、初めて登った時、滝を見つけ、滝壺でのどを潤そうとした。滝壺には大蛇が居て、赤い舌を出して最澄を一飲みしようと狙っていた。

「その大蛇の様子が如何にも腑に落ちかねるところがあるので、ずっと近づいて行って静かに語をかけた。/『お前はそんな恐ろしい姿をして、此の余を脅かさうとするのか知らないが、しかし余の見る所によると、お前はもとからの大蛇では無いだらう。……さあ、余は先きを急ぐのだから、一刻も早く其の本性を見せて呉れ』」

 大蛇は図星を指され、尾を二三度打ちはたくと煙のように掻き消え、「やがて其所には一匹の米俵の如き大きな山蟻が横たはって居た。」

 最澄は山で仏法弘通の道場を開くから、事業の外護をするように命じ、「今後は誰が来やうとも、断じて今日のやうな姿をして人を脅かしてはならぬ」こと、そして川下の住民はこの水を唯一の頼りにしているので、永遠に水が絶えないように守ることを言い渡した。

 じっと聞いていた山蟻は、大きな渦を巻いて滝壺に潜って行った。(硲慈弘「伝説の比叡山」昭和3年、近江屋書店を引用)

 

2)大津市北小松 「楊梅の滝」の大蟻伝説

 

 滋賀県で最も落差のある滝で知られるこの滝(76Mの落差)は、比良山系の北部の奥にあり、琵琶湖からも見渡せる。雄滝、薬研の滝、雌滝の3段からなって、雄滝は大蛇で、雌滝は小女郎ケ池の女房が大蛇になって移って来たという伝説がある。

 そして、その滝壺の主が、大蟻というのだ。

十畳ばかりの深さ何丈もある滝壺に主がゐて、一寸他に例のない大蟻で、其糞のおちた水を飲んだものは、力量衆に秀づることができるとの云ひ伝≫がある。

 

 共通点は、大蛇の姿をした大蟻が滝の主であり、大蟻には不思議な能力があること。糞の落ちた水は、飲むと力量が発揮できたり、また大蟻は水源が絶えない力を持っている。

 他に例を知らない大蟻伝説が比叡山近辺にだけ残っているのだ。

 

 私には、全く見当がつかない。

印度の北方にある砂漠地方には狐よりも大きい蟻が沢山棲んでゐる。この大蟻共は、よく旅行者を襲ひ、喰ひ殺すことがある。ところが、この地方からは、夥しく砂金を産するので、印度人は、二頭の雄駱駝と一頭の仔持ちの雌駱駝とを連れて、危険を冒して、その砂漠地へ赴く・・・」

 インドの北方の砂漠地帯に、大蟻が住むという。「この奇話は、ヘロドトス以後、西暦十三世紀乃至十四世紀に至るまで、全く同じ筋のまま語り継がれてゐる」

 昭和11年発行の「世界旅行奇譚史」(平路社編)に、ギリシャヘロドトス以来の伝説が紹介されていた。

 

 このインド北方の大蟻伝説は、中世ヨーロッパで広がった、ライオンとアリの混血の「アリライオン(ANTLION)」の伝説に膨らんでゆく。

 



 私は、このアリライオンの姿を描いた中世のイラストを見て、今回蟻が滝の「米俵のような大蟻」となんだか、似てなくもないと思ったのだ。

 

 知の宝庫で、大陸から有象無象の書籍が集められていた比叡山延暦寺には、ヘロドトス以来のインド北の大蟻伝説の史料も含まれていたのではないか、とひそかに思うのだが、それがなぜ、滝壺の主なのか正直分からない。