南蛮粽花入は、とりあえずベトナム産の油壺ということで

 新年早々、年賀状に混じって、古本屋に注文しておいた「陶説487」が届いていた。
 西田宏子さんの「南蛮・島物-南海請来の茶陶」という論文が掲載されている。家族で年賀の挨拶に外出し、昼前から飲み食いし、夜まで。勢いで、麻雀まで始めてしまい、疲れ切って帰宅してから「陶説」に目を通した。
 
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 わが南蛮に似たものは、「南蛮粽花入」と言われていた。「口を鐔(つば) 状に薄く作り胴を膨らまれて苞(つと)のような形をした瓶を称してるようである」(西田さん)
 
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 年末に手に入れたわが南蛮も、確かにワラ納豆のように、中央が膨らんだ形になっている。ただ、口縁部は、粗い作りで、論文に紹介されている17.9cmのもの=下図右=のように、美しく整えられていない、ことも分かった。
 
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「焼き締め陶器はなにかの商品の容器として渡ってきた可能性が大きいと考えている」と西田さん。さらに商品を絞って、「『壷』単位で記載されている舶載貨物は砂糖漬、油、伽羅などであり、いずれも貴重な商品であったことがわかる。火薬の原料であったとすることも大いに可能性があり、水銀が詰められてきた可能性も考えられる」と推測している。
 この壷に入れられていたものは、
1 砂糖漬(フルーツなどを砂糖に漬けたものらしい)
2、油、
3、伽羅(香木)、
4、火薬原料(硝石だろうね、硫黄は日本でよく採れる)、
5、水銀
のどれかというわけだ。
 
 容積600ccのわが南蛮は、口径が3cmほどと狭いことから、砂糖漬、伽羅などの固形物は考えにくい。火薬の原料は硝石なのだろうが、細かく砕いてあれば可能性がなくはない。
 
 やはり流動物が濃厚だ。果たして水銀を大量の600ccも入れて運ぶものなのか。
 油は椰子油とか、アーモンド油とかなのだろう。とりあえず、油あたりが可能性が高いと推測しておこう。
 
 製作地は、「胎土や成型の技法などから、ベトナムを始めとする東南アジア産とする可能性が大きい」と西田さんはキッパリ。
 
 元日匆匆、年末の疑問が少し晴れた気がする。