初詣でコンドル設計の門に出会う

 息子の住まいの近くの寺を初めて参詣したら、鹿鳴館の建築家、コンドルの設計した鉄門があった。
 その鉄門の前に、別の鉄門があって、それもまた、侮れない、と感じたのだが、何も表記がなかった。
 
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 その門の把手。中央は、菊の紋のような、違うような。丁寧な仕事だし、面白いデザインと思う。
 
 ロンドン生まれのコンドルは、東京駅を設計した辰野金吾や、表慶館や奈良国立博設計の片山東熊など日本の近代建築家を育てた人物だが、僕が親しみを持つのは、幕末明治期の天才画家、河鍋暁斎の弟子になり、世界に「キョウサイ」の名を広めた人だからだ。
 
 日本画を本気で学び、暁斎から、「暁英」の名を授かり、暁斎の臨終にも立会った。コンドルは、日本人の夫人とともに、護国寺に眠っている。
 
 コンドル著の「河鍋暁斎」は岩波文庫で翻訳されているので、ニコライ堂、岩崎邸の設計者とはまた違った一面が伺えると思う。
 
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 日本文化をリスペクトした外国人。
鬼怒鳴門」(ドナルド・キーン氏)の先輩のような人物だった。
  把手のデザインは、コンドルのものかどうかは分からないが、新年に、コンドル博士に向かって初詣した気分となった。
 
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 上は、コンドル設計とされる国の重要文化財の鉄門。こちらはあんまり好みではない。寺は、落語「堀の内」でもお馴染みの、お祖師さまとして親しまれる妙法寺