一日猫と自宅で過ごした。沖縄の5年に一度のウチナーンチュ大会をTVニュースが伝えている。海外からも沖縄出身の人たちがやってくる。
前回は「ブラジルやハワイから帰って来た年配の人たちが、沖縄の余りの変りように、これは沖縄でないと嘆いていた」と沖縄の友人が言っていた。言葉は通じないし、生活も全く違っているから、驚いたらしい。
あれから5年。どうだったのだろう。
フィリピンの女性歌手MARIBETH マリベスのCDを探して、収録されている照屋林賢の詞曲の「SAIL AWAY ~funayare~」を聴く。副題の「ふなやれ」は沖縄で航海のこと。
「おもろそうし」にも「ふなやれ」が出てくる。フィリピン生まれのマリベスの歌う「ふなやれ」は、バリのガムラン音楽を思わせることもあって、沖縄から太平洋を南下する航海に聞こえる。気持ちが明るむ曲だ。
この処、フィリピンの存在をあらためて意識している。きっかけは桐野夏生の小説「東京島」。無人島に漂流した日本人と中国人とが対立して緊張が高まる。そんな時フィリピン女性たちが漂流してきて、一気に島の緊張が解ける場面がある。
作者の意図がどこにあるのかは分からないが、同じ儒教、道教圏の日本、中国と違って、カトリック圏のフィリピンは全く別文化だから、価値観、倫理感も違って、日中の緩和剤、融和剤になる。韓国、台湾にはないフィリピンの特異性はかけがえのないものかもしれない、と思った。
棚から昭和17年の本を取り出して、フィリピンの様子を描いている部分を読み直してみた。