神田にある先輩の事務所に行ったら、「面白い本があるぞ、読め」と「街道をついてゆく・司馬遼太郎番の6年間」を手渡された。
週刊朝日の連載『街道を行く』の、司馬の最後の担当者村井重俊の回想記だった。
パラパラくっていると、「モンゴルの年寄りが、富士山を見て、香を焚いた話がのっているんだ」という。普段、信心から程遠い先輩が、どうしたのだろう。
モンゴルの年寄りとは、来日して鯉渕教授を訪ねたティムル老人のことで、「風塵抄」で司馬は次のように書いている。
「富士に見える丘にきたとき、老人はひざまずき、岩のように動かなくなった。ほどなく小さな香炉を取り出し、芝の上に置き、はるかに富士のために香をたいた。教授はあやうく涙がこぼれそうになった。富士のほうも、このような古人の心を持った人に対面するのは、何百年ぶりだったかもしれない」
僕は先輩に、「老人は、富士を一目見て、霊峰だと分かったのでしょう」と答えたが、「やっぱり、今の日本には、こういう敬虔な気持ちが、なくなっているんだなあ」と長嘆息している。
先輩は、もう、他人の言うことを聞いていない状態だったが、僕は続けた。
もう、全く聞いていなかったのは分かっていたが、「ツァガーン・トルゴイには、アルファベットという意味もあるんです。アルファベットの初めのAは、雪を帯びた山に似ているからだと、勝手に僕は思っているのですが」それは、絶対に違うだろうな、と思いながら、珍説を口走っていた。