小倉山はモンゴル語由来か

    墓は、嵯峨・小倉山の麓の小さな寺にある。次男坊なので、新たに設けたのだ。落柿舎も近いし、常寂光寺もご近所で、紅葉の季節はとりわけ美しい。
 実は、この小倉山の OGURA が、古代モンゴル語の「山」AGULA に、由来するのではないか、 と推定している。
 
 亀山ともいわれる小倉山の東北には、化野という墓地があり、風葬の地だった。9世紀には、禁野となって、貴族の山荘、寺院が造られ、天皇陵が築かれた。小倉山が、聖なる山であったのは間違いない。
 
 有名なオグラ山には、九州の宇佐八幡宮が祀られている小倉山がある。やはり、亀の形に似ていて、亀山ともいわれる。鷹居社から、祭神の応神天皇、比咩大神、神功皇后が移されて祀られた。全国の八幡神社総本宮である。
 
 万葉集「夕されば小倉の山に伏す鹿の今夜は鳴かず寝ねにけらしも」の小倉山は、奈良・三輪山と相対する外鎌山とされる。(外鎌=とがまは、とうま=当麻か)。舒明天皇、大伴皇女の墓があり、「朝倉富士」と呼ばれるように、円錐型の神奈備山である。
 
  モンゴルでも、聖なる山の周囲には、墓地がある。生命が天から山頂に降り、死してから、また、山から天に戻ってゆくと、信じられていたからだ。
 
  相模の国の大山は、信仰の山で、「阿夫利神社」が祭られている。あふり山といわれ、雨降り(あふり)から由来したといわれるが、これも AGULA が変化したものではないかと、考えている。