昨日は、朝、ひと仕事して、帰途、古本屋を覘く。
兄の普猷も「物外」という雅号を持っていたことを、この本で知る。物外とは、俗世間の外、といった意味。ブツガイと、濁音が2つもはいってゴツゴツするが、いい号だ、と思う。
「物外楼上物外人」、17-18世紀に沖縄で活躍した、程順則の詩から取ったという。程は、1663年、久米村で生まれ、漢詩集を上梓し、学問所を設立した。晩年、名護親方(市長のようなものらしい)になり、今、名護の博物館前に銅像がある。日本名を「寵文」という。
みな、色々な名を持っていたのだ。
親から名づけられたのと違い、自分の生き方の目標が反映して、号はいいものだ。書道をしていた母の「紫洸」は、先生から付けられたので余り意思は反映しないが、祖父「知足庵」(足るを知る)、祖父兄「昭軒」(明るく耀く家)は、ともに生き方が想像できる。
「求米」は、少し恥ずかしい、と思った。
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写真は「伊波月城」(リブロポート)。小さな花入れは、国吉清尚の作。