沖縄ゴホウラ貝続き

沖縄ゴホウラ貝の続き
 
 鮮やかな白の「ゴホウラ貝製腕輪」が、弥生時代に九州、本土で席捲したあと、腕輪は、弥生時代後期には、ピカピカの金属光沢の銅釧に代わられ、古墳時代には、碧玉の鍬形石(ゴホウラ腕輪を模した)に変化した。
 
 白―金属―碧 と、弥生時代の600年(もっとか)の間に、腕輪の色の好みが変わったことになる。
 
 僕は、沖縄の白の時代の終焉を告げる典型が、丹後の青の文化と見ている。丹後の代表的遺跡、大風呂南遺跡から、弥生の終わりの、見事な発色の青のガラス腕輪が出土している。青ガラスは銅釧とセットで出土しており、青だけの文化でなく、青と金属のセットの文化だったことも分かる。
 
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 ところで、青と金の組み合わせで思い浮かぶのは、内モンゴルのオルドス青銅器文化の阿魯柴登遺跡。トルコ石と金の帽子が出土しており、金好みの騎馬民族がとともに青を好んだことが伺える。
 
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 沖縄、琉球の海洋文化につながっていた白を聖なる色とした、弥生の文化が半島経由で金属と青を好む文化へ移り変わった、その淵源は騎馬民族文化と私は見ている。
 
 ゴホウラ貝の腕輪の衰退は、乱獲や寒冷化のせいで、大きなゴホウラ貝が沖縄などで採れなくなったため、という興味深い説を、北條芳隆さんという考古学者が唱えていて興味深いが、日本文化の、スイッチが南洋から、半島へ変ったのが根本ではなかろうか。