モンゴルと原発

 イタリアできょう国民投票の結果が出た。モンゴルも無関係でない。
 
 日本の原発放射能廃棄物の最終処理場を、モンゴルに建設することで、両国政府が交渉中というニュースが一月以上前に、毎日新聞に掲載された。翌日のモンゴル紙オノードルも、後追い記事を論評なしで、掲載していた。モンゴル側に、見返りとして、原発の技術を提供するというもので、モンゴル側も満更ではないとの感触をもった。
 
 人口過疎地の地中に埋めれば、万が一の時も、被害が少ないという非情な確率論からの発想だろう。十年以上前に、六ヶ所村を訪ねたとき、電力関係者から、潰れた北海道案のほか、中央アジアの地中に埋める案も聞いたことがあった。そこに住む人たちへの思い、想像力が全く欠けているなあ、と嘆息したが、今も変わっていない。わが国も、大国主義・中国を笑えない。安全なら、日本の大都会の地下にでも埋めれば良い。安全でないなら、他国へ引取らせるまねをすべきでない。
 
 モンゴル政府も情けない。市場経済への道を選んだ後、国際金融資本におもちゃにされ、銀行、企業は外国資本の手に渡ってしまった。一部のモンゴル人だけが極端に富み、遊牧民や職を失った一部の都市住民は、外国企業が開発する鉱山労働に従事して、なかなか貧困から抜け出せない。200万人ほどの国民を養うのに、さらに原発に手を染めようというのだろうか。