モンゴル狂・春日さんの訃報

 とことん、モンゴルを愛し続けた、春日行雄さんが2日亡くなりました。
90歳でした。
 
 島根に生まれ、旧満州の軍医学校に学び、五族協和の精神の下、現地で活動されましたが、敗戦後、モンゴルに抑留され、収容所で医師を勤めました。帰国後、船医、保険医をしながら、日本モンゴル協会を設立。日本が米国一辺倒の風潮の中、モンゴルとの繋がりを忘れずに、献身的に活動されました。
 モンゴルでの、マンホールチルドレンが日本でも大きな社会問題として報じられた時は、私財を投げ打ってウランバートル郊外に孤児の施設「テムジンの友塾」を建設されました。
 
 ハバリーン・バートル(春の英雄)というモンゴル名を持ち、モンゴル語の印鑑も大事に持っておられました。私たちが、かつてモンゴルの企画をしたときも、有難いカンパを戴きました。
 
「青春時代、軍医学校でイメージ 1、同じ釜の飯を食った仲間は、生涯忘れられないですよ」
 
-旧満州で一緒に学んだ中国人(漢族、満州族)、モンゴル人らの仲間との、戦後も続いた交流のことも楽しそうに話していました。
 春日さんを超えるモンゴル好きは、ほかに知りません。
「最後の蒙古浪人春日行雄」という春日さんの一代記もあります。言葉の人というより、実行の人でありました。合掌。
 
写真は 「ハバリンバートル」の印