猫恐怖症の猫怖ぢ大夫

 私の姉は、子どもの頃、激しい鳥恐怖症だった。鳥の翼が怖いらしく、小鳥でさえ見ると逃げるのだった。私にはその怖さが理解できなかった。ある休日の朝、親戚の男性が、撃ちとった雉を持って現れた。私は思いついて、それを手にすると、まだ寝て居た姉のところに行って、雉を顔に近づけた。

 恐怖で叫び声をあげた姉は飛び上がって逃げ惑い、私は親にこっぴどく叱られた。

 

 精神医学には鶏の恐怖症、鴨の恐怖症など、鳥への恐怖症のほか、「猫恐怖症」というのがあるのだという。私も蛇は怖いし、高所恐怖症でもある。しかし、猫が怖い人がいるのはちょっと驚きではある。Ailurophobia アイルラフォウビアという用語もちゃんとある。

 

猫のどこが怖いのだろうか

 

 私は、「猫怖(お)ぢの大夫」という日本の平安時代後期の説話を思い出した。「今昔物語」(巻28)に登場する11世紀初めの藤原清廉(きよかど)という人物をめぐる笑い話だ。

 清廉は山城、大和、伊賀と三国に荘園を持つ大蔵大夫だったが、猫を恐れ、大事な仕事の最中でも猫を見かけると、顔を覆って逃げてしまうので、「前世は鼠だったのだろう」とからかわれ、「猫怖ぢの大夫」のあだ名がつけられた。

 

 都に顔が利き、力を持っていた大夫は、長年年貢を払わず、三国の国守からの取り立てにも応じなかった。しびれを切らしたのが大和守の藤原輔公。清廉を呼びつけ、壺屋という狭い部屋に誘い、部下に引き戸を閉めさせた。対面した輔公は清廉と差し違えるつもりだといって、年貢の最後通告をした。それでもタカを括った清廉は理屈を滔々と述べて先伸ばしをはかる。

 国守は意を決して部下に合図をすると、引き戸があいて用意した猫が部屋に放り込まれる。

灰毛斑なる猫の丈一尺余ばかりなるが、眼は赤くて琥珀を磨き入れたる様にて、大声を放ちて鳴く」。30㌢超の背丈で、コハクを磨いたような赤い眼の、大きな鳴き声の灰色の斑の毛の猫(キジトラ猫か)が、閉じ込めた空間に投げ込まれた。

 これだけでない。「同様なる猫五つ、次きて入る」。似たような猫5匹が次に放たれた。

 たまらず清廉は、大粒の涙を落し、国守に手を合わせて懇願する。猫が袖を嗅いだり走り回ると、顔色が真っ青になり、卒倒寸前。猫の大きな鳴声を聞くと、汗がどっと出て、眼をぱちぱちさせ、息絶え絶えになった。

 

 潮時だと見て、輔公は部下に猫を引き戸の脇に縄でつながせた。国守は清廉に年貢を支払う約束をさせ、「今後も壺屋に閉じ込めて猫を入れる」と脅しを入れて、その場で証書を書かせることに成功したのだった。

 猫恐怖症の者にとっては、想像を絶する恐ろしさだったのだろうと気の毒に思えるが、説話は猫怖ぢを笑って終わっている。

 

 清廉を懲らしめるのは当然だとしても、猫を拷問の道具に使ったことは決して褒められたものではない。

 ただ、6匹もの猫をよく準備したと感心する。野良猫は当時いなかったと考えられる。(12世紀中ごろになって、野良猫はようやく和歌に登場するのだ)

 輔公は貴重だった飼猫(唐猫)をどこからかかき集めたのだろう。猫を借りに行かせたり、あるいはこっそり拝借もさせたのだろうか。清廉を怖がらせるために、部下たちが必死になって猫集めする様を想像すると、コミカルでありまた別の笑い話が出来るように思われた。