猫遊軒と嵐雪・烈女の猫

 講談師に猫遊軒伯知(びょうゆうけん・はくち。1856-1932)という人物がいるのを知った。結構知られているらしい。「猫遊軒」などと名乗るのは、猫好きだからだろうと思うがはっきりしない。確かめようと、「小幡小平次」の講談が残っている(大正10年、博文館)ので、目を通してみた。

 

 小平次は、旅先で殺された歌舞伎役者が幽霊になって、妻やその愛人に化けて出る話だが、彼の講談は、初代市川團十郎を登場させ、猫の活躍シーンが設けられていた。

 

 登場する猫は、初代團十郎の飼猫。役者の小平次を殺し、その後も悪事を重ねる太九郎が、金欲しさに團十郎の家に忍び込む場面で出て来る。

「白い猫が一匹、前足を揚げて太九郎を睨んで行く手を塞いだ」。猫は、恐ろしげに金の目を光らせている。太九郎が脇差に手をかけると、猫がパッと飛び付いたので、太九郎はあっと云って倒れた。

 物音に気付いた團十郎が現れると、男は斬りつけようとするが、「猫がサッと飛び付き曲者の右の腕に喰付いたから、ポロリと脇差を落した」。

 白猫が團十郎を守って大活躍するのだった。

 

 あろうことか猫遊軒は、この猫を松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪の妻烈女から貰い受けた設定にしていた。

團十郎の友達で有名な俳人嵐雪、此女房のお烈と云ふが変わり者で、大層猫を愛します、それで白猫を飼った、毛に艶があって目が金色をして大層綺麗な猫でございます、其を団十郎が貰ひ受けて、玉や玉やと可愛がって居た

 

 初代團十郎 1660-1704

 嵐雪    1654-1707

 

 同時代に生きた両者ではあるが、ちょっと無理がある。

 

 烈女の猫は竹窓玄々一「俳家奇人談」(1892年、今古堂)に詳しい。元々遊女だった烈は、嵐雪と結婚後も、猫を溺愛し、敷物器物も人並み以上のものを用い、身を清めるべき忌日にも生肴を与えた。嵐雪は懲らしめようと、妻の留守中に、猫を遠くに遣ってしまった。夕方戻った烈は、猫がいないので、憔悴し、泣き叫んだ。この狂乱ぶりに、隣家の女が経緯と猫の行き先を教えたのだった。烈は夫の行為に怒り、門人が駆けつけてなんとかなだめたというものだ。

 此の時の烈の悲嘆の句が、「猫の妻いかなる君の奪ひ行」であり、猫をめぐる正月の夫婦喧嘩と仲直りの様子を、嵐雪は「悦ぶを見よやはつねの玉はばき」の句にしたという。(はつねの玉はばきは、正月初の子の日に、蚕室を玉をつけた小さな箒=玉はばき=で掃く招福行事。嵐雪は、鈴玉をつけた小猫を、玉はばきに例えたのではないか)

 

 こんな大事にしていた猫を、團十郎に譲ったというのは創作でも通りにくい。

 

團十郎は大層猫を愛し、外を歩いて宿なし猫を見ると、連れて来ては飼って置いた」。

(講談の團十郎のセリフ)「此奴は面白い奴だ、優しい声を出して人に馴れて、間があると膝の上へ乗って眠て居る、眠て居るかと思ふとガタリと云って目を覚まして其方を睨む、油断して居るやうで油断をしねえ」「野菜は好まず魚ばかし食べたがる、それに隙を窺っては泥棒をする、こんな人を馬鹿にした畜生はない、それで俺は好きだ」

 團十郎「まあまあ此奴が居ると鼠が出ない、可愛いものだナ、来いよ」

 猫「ニャー」

 團十郎「古風な啼き方をするな、ワンと云へ」

 

 團十郎でなく、猫遊軒自身のことを講談にしているようだ。「猫遊軒」は「烈女」にまさる愛猫家ではなかったか。