20年代パリの美術品収集

 石井柏亭「巴里日抄」を読んで、1923年当時のパリに沢山の邦人画家がいたのに驚いたが、おおきな要因は円高だったようだ。第一次世界大戦(1914-1918)の終結後、連合国側の日本は好景気で、円相場が高騰した。

 

 当時パリに遊学していた文学者成瀬正一をテーマにした関口安義氏の論文で次の文章に行き当たった。

 

第一次大戦戦勝国日本の円は強く、大戦前は1フラン39銭内外の為替ルートが、たちまち20銭台に、成瀬がのちフランス滞在中の1923(大正12)年には13銭を割り、以後も円高は続いた」(「成瀬正一の道程(Ⅱ)松方コレクションとのかかわり」(2006年3月、文教大学文学部紀要)。

 

 円が対フランで、大戦以前より3倍の価値を持ったことが分かる。22年に船川未乾画伯が夫人同伴で渡仏できた背景も、これで納得できる。

 

 上記の論文では、成瀬の興味深い松岡譲宛書簡を紹介していた。

 

先日出かけて絵を二枚買ひました。二枚で千七百フラン、即日本の二百五十円位です。日本人の油絵よりは上手で安いんだから面白いぢゃありませんか」(1921年4月30日付)

 

 石井柏亭の日記にも、画家たちの美術収集について書かれていた。洋画家より「懐具合がいい」日本画家がとくに買っていると。

 

 土田麦僊  ルノワル(ルノワール)、ルドン、セザンヌ、ヷン・ゴオグ(ヴァン・ゴッホ)、アンリー・ルーソー(アンリ・ルソー

 菊池契月  ビシエール、ブラック

 石崎光瑶  エジプト美術

 

    柏亭は画家たちが手に入れた作品の画家もチェックしている。

 

 洋画家にも珍しく懐具合のいい人がいたらしい。「硲君が相当なものを買ってゐる」と、硲伊之助がドラクロワの水彩、ピュヴィス(シャヴァンヌ)のパステル画、アンリー・ルーソー(アンリ・ルソー)の2作品を買ったと書いている。

 

 土田麦僊については、今ではクールベ、シャバンヌ、ドーミエも購入し、作品名も判明しているのだった。(豊田郁「土田麦僊の欧州遊学をめぐって」2015)

 ルノワール「婦人像」、クールベ「男のパイプを咥えた肖像画」、ゴッホ静物画、シャバンヌの素描、ドーミエの素描、ルドン「若き仏陀」、ルソー「風景」、セザンヌの水浴の画。

 

 この直前に、西洋美術を大量に収集した人物がいた。実業家松方幸次郎だ。日本から流出した浮世絵8000点以上を買い戻し、西洋美術も3000点以上購入した。

 柏亭の日記の前年まで、松方はパリを中心に2回目の収集事業(1921年4月から1922年2月)を行なっていたので、日記にはその余韻が伝わる箇所も出てくる。

 

1923年2月20日 ボアシイ・ダングラの町のマヌリイと云ふ画堂に其主人と会って、彼れが東京美術館(ミュウゼ・ヂュ・トウキャウ)に売りたいと云ふユウジェエヌ・カリエエルの画を三枚見た。成程その二枚は単色的ではあるが、よく仕上げられたカリエエルである。こちらの人はミュウゼエ・ヂュ・トオキョウと云ふけれど、そんなものは存在して居ない。それは多分松方氏の集を指すものであらうが、松方氏は既にカリエエルを持って居られるだらうと私は云った

 

 松方は「東京美術館」を名乗って大量の購入をしていた様子が知れる。松方の収集を手伝った上記の成瀬は「松方さんが来て方々絵を買ひに歩いてゐる。ゴオガンが十五六枚、セザンヌ四十八枚、クウルベ十枚を筆頭に沢山買った。矢代(幸雄)君も一緒だ。日本で展覧したら立派なものだらう。世界の大抵の美術館には劣るまい。八百枚以上の名画があるんだから」(松岡宛書簡、1921年9月5日付、関口論文から)

 

 これらの3000点以上のコレクションは、散逸、焼失。戦後フランス国内に保管してあった400点分が、フランス政府に没収された後、上野の国立西洋美術館建設を条件に日本に370点返還された。今私たちが見ることができる「松方コレクション」だ。

 

 柏亭の日記には、もう一か所、東京美術館が登場する。バスクの画家スビアウレ兄弟の個展を訪ねた時の記述。

見ごたへがあった。スビアウレの名と其画の写真とは知って居たが、原画を観るのは今度がはじめてである。其画の二つに『東京美術館買上』と云ふ札がついて居た。松方さんが買はれたのかと思って見た

 

 スビアウレ兄弟は、スペインの音楽家ヴァレンチン・スビアウレ(マドリッド音楽院教授)の息子たちで、ともに生まれながらに耳が不自由だったため、父はすぐに絵画を学ばせ、才能を伸ばしたのだった。パリでフランス美術に触れ、故郷にもどって地元バスク地方の風物を描き、20年代にはスペイン国内で知れ渡り、米国でも個展が開かれるようになった。

 1923年に小規模の個展がパリで開催され、柏亭が関心を持ち、その前に松方が購入していたことが分かる。

 

 日本にあるスビアウレ兄弟の作品は、兄ヴァレンチンJr(1879-1963)の2点が長崎県美術館の須磨コレクション(2次大戦中、駐スペイン外交官の須磨弥吉郎が購入し寄贈)、弟ロマン(1882-1969)の「オンダロアの港」が大原美術館に所蔵されている。国立西洋美術館の松方コレクションにはない。

 

 1923年に柏亭が目撃した「東京美術館買上の2点」はどうなったのだろうか。

1 ロンドンに保管された900点に含まれ、1937年に焼失したのか。

2 日本で保管された1000点に含まれ、世界恐慌の1927年に散逸したのか。

 

 世界恐慌で打撃を受けた松方は、日本保管分のコレクションを手放したが、そのうちの一部は大原美術館にも渡ったという。あるいは、柏亭がパリで見た2点のうちの1点がこの作品なのだろうか。興味は尽きない。

 



 こういった「懐具合のいい」人たちの美術収集の流れのなかで、未乾画伯は美術品など買って帰る余裕も、意志もなかったことは間違いない。

 パリからは版画のエッチング機械を買って帰った。版画制作にも意欲を燃やし、この機械で童話作家の尾関岩二と版画100枚入りの「イソップ画集」を計画したのだった。それなのに病魔に襲われて逝去。本当に惜しいことだと、あらためて思うのだ。