落ちた堀から怒鳴る上人について

 辺りを観察し上から見下ろす猫の眼、足元で上目遣いに甘える猫の眼。  

 見下ろす眼、見上げる眼の表情は全く違う。かわいい猫をしたたかな動物と思う瞬間だ。

 

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 上から目線    

 下から目線  

 

 以前から気になっている「徒然草百六段」の話も、目線で解釈すると別のおかしさが見えてくると、思った。

 

 百六段の話とは―。

 

 高野山の上人が馬に乗って京都に出かけた時の事、狭い道で、女の乗った馬とすれ違うことになった。女の馬は馬引きがひいていた。その馬引きのミスで、上人の馬は堀に落ちてしまった。

 上人は、烈火のごとく怒って、女性を罵る。

 

≪仏に仕える者にも位がある、

男僧の比丘より尼僧の比丘尼が劣り、

比丘尼より男の在家信者優婆塞が劣る、

女の在家信者優婆夷はそれより劣るのだ、

優婆夷が比丘を蹴落とすとは未曽有の悪行だ≫

 

 さらに、馬引きが、上人の言っている意味が分からない、と返事すると、上人は馬引きを無学なものが、と罵倒する。

 

 すべての者が等しく仏になる、といった教えと思いきや、本音では、僧侶と在家信者、そして男女で上下の差があると、偏見と差別の考えの持ち主であることを上人は露呈してしまった。

 上人は、堀に落ちて、下から馬引きを、「上から目線」で怒鳴っている。馬に乗った女性は、さらに高いところにいるため、堀の底から上人は見上げながら、「上から目線」で吠えていることになる。馬引きは上から上人に答え、馬に乗った女はより高い位置から上人を見下ろしている構図だ。

 

 視線の位置のおかげでコメディになっている。

 上人は、とんだ自分の放言に気づき、逃げるように姿を消してしまった、とある。

  

 上人が落ちた堀が、私には分からなかった。鎌倉末から室町初めのころ、京都の堀はどんなものか。

 

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 神保町のゾッキ本コーナーで見つけた原勝郎「東山時代の一縉紳の生活」(昭和16年、創元社)に京の堀が出て来た。室町時代の公家の邸宅では、築地の外側の通りを掘削して堀を作るのが一般的だったというのだ。

 三条西実隆の邸宅(京都・武者小路)の様子を描いた箇所で、

「一般の公卿の邸宅の例に洩れずして、往来に面した方は土塀即ち築地を以て囲はれ、其築地の外側には堀を穿ってあったのであるが、これが土砂の為めに浅くなるので、時々浚をしたらしい。深くして置かなければならぬのは、盗賊の用心の為めである」

 

 どうやら、高野山の上人はこの泥棒対策の空堀に落ちてしまったようだ。怒り具合からすると、結構深く掘ってあったのではないか、と思う。