梅雨入りして1週間たった。最近の五月雨は、だらだら降るというより、集中豪雨のような強い降りがあって、油断ならなくなった。
湖へ富士をもどすやさつき雨
与謝蕪村にこんな句があって、蕪村は、富士山を崩すような激しい五月雨を描いている。
湖は琵琶湖のことだという。
富士山は琵琶湖が陥没してできた時、同時に盛り上がって出来た、あるいは、
富士山は陥没した琵琶湖の土で出来あがった、
という、なんとも奇天烈な伝説にのっとった作品なのだった。江戸時代には、そう思われていたらしい。
この句については、高浜虚子が「蕪村は孝霊天皇五年近江国地圻湖水湛而富士山出とある口碑を捕へて来て、降り続く五月雨の為め、其富士山の土を皆おし流して、もとの琵琶湖へ戻してしまうぞといったのである」(蕪村句集講義)と評釈している。明治時代まで、その話はよく知られていたようだ。
「歴史地理」大正9年の「富士山号」に、この伝説に絡めて、地震学者大森房吉(1868-1923)が「富士山の容積と琵琶湖の水量との比較」をいう文を寄稿している。
「俗に孝霊天皇の五年(今より二千二百六年前に当る)に一夜江州の地拆け水初めて湛ひ、茲に琵琶湖を現出し、同時に富士山が湧出せりと云ふは素より付会の説にて、富士山も琵琶湖も更に古るき時代より存在せるものなるべし」
そんな俗説は、ひょっとして、琵琶湖と富士山の容積が等しいと想像して、生まれたのかもしれないと、「試に両者の容積を示すべし」と、計算を始めている。
琵琶湖は、平均水深は130尺7寸(彦根測候所調べ)=約39.6mに過ぎないので、「湖水全体の水の容積は意外に少なきものにして二万〇九百五十六方町、即ち僅に〇・四四九立方里にして、一里立方の十分四強に当る」。
富士山は、裾野からの円錐だけで、490・6㎦=8.1立方里。海面からの分を加えると、16・7立方里。「琵琶湖の全水量よりも三十七倍大なるものなるを見るべし、即ち琵琶湖陥没の容積に比すれば殆ど四十分の一に過ぎざるものとす」。
裾野から見える部分だけでも、琵琶湖の水量の約20倍あることになる。琵琶湖と同じ大きさの湖20個を掘って、土を積み上げないと富士山はできない、ということになる。
大森の結論はー。
「琵琶湖の陥落と富士山の隆起とは其の大小の差に於いて全く対を失すと謂うべきなり」
蕪村にも、富士山が流れたら、琵琶湖どころか浜名湖も埋め尽くしてしまうよと、いいたくなる。
ただし、この梅雨に、富士山を削るような五月雨の豪雨だけはごめん願いたい。きょうも雲行きがあやしくなってきた。