幸徳事件と虚子

 明治43年の幸徳事件は、初等教育用歴史教科書の文部省担当官の喜田貞吉ばかりか、俳句誌「ホトトギス」の主宰高浜虚子にも大きな転機を与えたのを、最近知った。

 

 同誌から生まれた作家夏目漱石のように、小説家を目指し作品を発表していた虚子は、同年「ホトトギス」9月号に、一宮瀧子名で「をんな」を掲載。これが風俗壊乱する内容とされ、発禁処分を受けてしまったのだ。幸徳事件を受け、治安当局が、出版物に目を光らせていた中、女性の自立をテーマにした内容が引っかかった。

 親から結婚を強要され、主人公は結婚や出産が女性の幸せなのか思案するという今ではごく普通の内容は、明治末には社会を紊乱させる過激なもの、との判断を受けたのだ。

 

 ちょうど財政的に苦しかったこの時期の「ホトトギス」にとって、発禁は経営危機に拍車をかける一大事となった。虚子は、腸チフスでの入院も加わって、「生涯のうちで、最も変動著しい時期」と回顧している。

 

 喜田が教科書事件の後、歴史家として「歴史地理」で健筆をふるい、飛躍したように、虚子も発禁の後、小説を断念、俳句一本に絞ってその後の俳壇を背負ってゆく。大正2年40歳で俳壇復帰、俳句の先輩だった同郷の河東碧梧桐の新傾向運動に対抗し、「守旧派」を旗印に「花鳥諷詠」俳句の普及に邁進する。

 

 しかし、コロナ騒ぎの暇な期間、虚子の何作か小説を読むと大変面白い内容だった。筆を折ることになったのは、なんだか残念に思う。明治41年国民新聞に掲載された「俳諧師」(同42年単行本化)は、明治の俳諧師の様子が生々しく描かれる。

 

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 松山から出て、京都の三高に入学したものの、ドイツ語、物理の授業で躓き、ぶらぶらする主人公塀和=虚子の周りに登場する俳諧師が面白いのだ。

 主人公と同居する増田=碧梧桐を訪ねる俳句仲間の卜翁という人物は、実はスリで生計を立てていた。逮捕されて現れなくなる。

 吉原の遊女を身受けした俳諧師五十嵐=新海非風は、妻となったしづ子と仲良く暮らすが、生活苦に追われている。主人公は一時、夫婦と一緒に暮らすが、夫婦は生活に疲れ、非風は死んでしまう。(虚子の非風への深い思いが伝わってくる)。

 京都に現れ主人公に迷惑をかける早稲田学生篠田=藤野古白は、いつも新聞紙にくるんだものを持っている。虚子は不審に思っていたが、やがて東京でピストル自殺。新聞紙の中身はピストルだったと気づかされる。

 俳諧師との付き合いとともに、青年ならではの女性への関心が織り込まれる。雪の中での寂光院訪問では、尼たちへのねっとりとした視線。そして、実体験に基づいた、上京後に入れあげる娘義太夫への追っかけぶり。

 娘義太夫の銭湯入浴シーンは、雑誌掲載後、驚いた漱石らが批判。虚子も進言を受け入れて、単行本では彼女とのやりとりはバッサリ削除した。

 国立国会図書館アーカイブで探して、削除箇所の銭湯場面を読んでみると、娘義太夫が入浴中の老婆を観察し、胸の小ぶりな我が身と比べながら、女が歳を取ることの残酷を思う、といった内容だった。

「後になって顔赤らめる気持があったのであろう。だが、それにもかかわらず、この改竄によって、この作品は青春小説としての新鮮な感銘を、同時に失ったのである」と、文芸評論家山本健吉は「昭和俳句」(角川書店、1958)で残念がっている。