丁度、足場になるコンクリートが水面から顔を出しているのだ。じっと水中を観察し、獲物を見つけると、電光石火、嘴で小魚を咥え、呑み込んでいる。7回チャレンジして、失敗は1度だけ。脚が黒く、嘴も黄味が強いので、チュウサギだろう。
しかしサギにばかり時間をさけないので、散歩を続けた。
前日は嵯峨野の寺に挨拶に行き、住職、副住職夫妻と嵯峨野の昔話をして食事し、遅くに河原町に戻った。
はやく到着したので、予約の時間まで、長椅子で待つ。宮内庁管理なので、もちろん勝手には入れない。竹塀の上に、黄色の尾部の大きな蜂のような昆虫を見つけた。
よくみると、蛾のオオスカシバだった。子供の頃は昆虫採集で、堂々と飛ぶオオスカシバは常連だった。夜に活動する多くの蛾と違って昼間に活発に飛び回る。しかも、透かし羽なので、蜂と間違えられた。懐かしい出会いだ。
中離宮に入るとき、門の横の植え込みに、小さくて綺麗なアオガエルが撥ねた。モリアオガエルの一種、シュレーゲル・アオガエルだろう。日本のカエルで、江戸時代にシーボルトが採取してドイツに持ち帰ったので、こんな名前になった。
中離宮の楽只軒には、杉戸に鯉の絵があった。両面とも、全面に網が書かれ、しかも、破けた個所も設けている。
夜な夜な鯉は、絵から抜け出して庭の池で泳いでしまっていたので、逃げないように絵に網を付け足したのだという。網は円山応挙が描いたという伝説が残る。
似たような話を思い出した。そう、落語の「抜け雀」。旅籠の宿泊料を払えない若い絵師が、襖に枝に止まる群れ雀の絵を描いて立ち去る。描かれた雀たちは、絵から抜け出して部屋で飛び回るので、旅籠の名物となり大繁盛するーといった内容だった。
見事な浴龍池のある上離宮では、金色に輝く鳳凰がいた。池にかかる中国風石橋「千歳橋」の屋根の上。この橋自体は、水野忠邦、内藤信敦と江戸後期の京都所司代が献上したとのこと。鳳凰の細工は、何代目かにあたるのだろう。左右対称でない、この橋は大変興味深かったが、立ち入り禁止であった。
帰り道、離宮の近くの蔵でも、生き物を見つけた。梅の模様の美しい白壁。
よく見ると、梅の上に、人のようなお猿さんのような顔がー。魔除の猿なのだろう。