2019京都の夏に見つけた動物

 河原町にとった安宿で目を覚まし、朝6時前、鴨川を散策した。徹夜組の外国人の若者が四条大橋に溢れていた。若者の熱気を敬遠して、対岸に渡り、川の流れを見ていると、一羽のサギがこっちにやってきた。

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 丁度、足場になるコンクリートが水面から顔を出しているのだ。じっと水中を観察し、獲物を見つけると、電光石火、嘴で小魚を咥え、呑み込んでいる。7回チャレンジして、失敗は1度だけ。脚が黒く、嘴も黄味が強いので、チュウサギだろう。
 しかしサギにばかり時間をさけないので、散歩を続けた。
 
 前日は嵯峨野の寺に挨拶に行き、住職、副住職夫妻と嵯峨野の昔話をして食事し、遅くに河原町に戻った。
今回の旅の目的は、修学院離宮の見学だった。叡山鉄道の修学院駅から、東の山並みに向ってしばらく歩く。 白川の流れに沿って登る。左へ行けば赤山禅堂、右の方へは詩仙堂。なお道をまっすぐ登ってゆく。
 
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 はやく到着したので、予約の時間まで、長椅子で待つ。宮内庁管理なので、もちろん勝手には入れない。竹塀の上に、黄色の尾部の大きな蜂のような昆虫を見つけた。
よくみると、蛾のオオスカシバだった。子供の頃は昆虫採集で、堂々と飛ぶオオスカシバは常連だった。夜に活動する多くの蛾と違って昼間に活発に飛び回る。しかも、透かし羽なので、蜂と間違えられた。懐かしい出会いだ。
 宮内庁女性職員がガイドする90分の見学。下離宮から中離宮を巡り、坂を登って上離宮へ。3キロ歩く。
離宮に入るとき、門の横の植え込みに、小さくて綺麗なアオガエルが撥ねた。モリアオガエルの一種、シュレーゲル・アオガエルだろう。日本のカエルで、江戸時代にシーボルトが採取してドイツに持ち帰ったので、こんな名前になった。
 
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離宮の楽只軒には、杉戸に鯉の絵があった。両面とも、全面に網が書かれ、しかも、破けた個所も設けている。

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夜な夜な鯉は、絵から抜け出して庭の池で泳いでしまっていたので、逃げないように絵に網を付け足したのだという。網は円山応挙が描いたという伝説が残る。
似たような話を思い出した。そう、落語の「抜け雀」。旅籠の宿泊料を払えない若い絵師が、襖に枝に止まる群れ雀の絵を描いて立ち去る。描かれた雀たちは、絵から抜け出して部屋で飛び回るので、旅籠の名物となり大繁盛するーといった内容だった。
 
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見事な浴龍池のある上離宮では、金色に輝く鳳凰がいた。池にかかる中国風石橋「千歳橋」の屋根の上。この橋自体は、水野忠邦、内藤信敦と江戸後期の京都所司代が献上したとのこと。鳳凰の細工は、何代目かにあたるのだろう。左右対称でない、この橋は大変興味深かったが、立ち入り禁止であった。

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ガイドの宮内庁職員が20人ほどの見学者を率いて先頭を行き、しんがり皇宮警察の職員が勤めて、各離宮の戸締りをして移動する。ほかに人影もなく、贅沢で貴重な体験だった。ちなみに無料。
帰り道、離宮の近くの蔵でも、生き物を見つけた。梅の模様の美しい白壁。
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 よく見ると、梅の上に、人のようなお猿さんのような顔がー。魔除の猿なのだろう。
 
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