鼠の怖さがわからない

 本を鼠の害から守った猫を、北宋の詩人、梅尭臣が称えたが、鎌倉時代に作られた最古の武家文庫「金沢文庫」にも、猫の伝説が残っている。
 文庫を創設した北条実時(1224-1276)が鼠から典籍を守るため、中国猫を輸入したというものだ。
 また、日宋貿易の船が六浦に入港したときに、唐猫(中国の猫)が1匹逃げ出した、「金沢猫」と呼ばれ、その猫の塚が千光寺に残っている、という言い伝えもある。
 確かな文献が残っているわけではないが、日宋貿易で、禅宗文化、銅銭、青磁ばかりか、「図書館」での猫の活用法も伝わっていた可能性があるわけだ。
 
 鼠の害は、現代人にはイメージがいまひとつわかない。
 
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 読み直している武田泰淳(1921-1976)の作品「目まいのする散歩」に、1951年東京・杉並の天沼の下宿での、鼠の様子が出てきた。
 長女が生まれたばかりのときだ。
 
 「二階には電気を消すと、すぐに鼠たちがはびこった。よく赤ん坊が鼠にかじられなかったものだと思う。鼠たちは、一と晩で二階の部屋の外に置いてあった(下駄箱がないので新聞紙を敷いて間に合わせていた)靴のかかとをかじってスリッパ風の形にしたくらい猛威をふるったからである。乳母車など無論なかった。夫婦揃って駅附近まで出かけるときには鼠害を怖れて、部屋の中央にもちだした腰かけ机の上に寝具をあしらって置き去りにした。鼠たちは釘にひっかけたネクタイによじのぼったり、洋服のポケットにとびこんだりして遊んだが、赤ん坊はついに噛まれなかった
 
 小説家は本どころか、わが嬰児が齧られないか心配している。鼠の怖ろしさを知らないと、猫の有難味も分からないのかもしれない。
 
 梅尭臣には、鼠が出てくる詩があった。
 「謝師厚と同に胥氏の書斎に宿、鼠を聞き、甚だ之を患う」という長い題。
 「灯はほの暗く、家人もすっかり眠りについたころ、飢えた鼠どもがそろそろ穴から出て来たらしい。ひっくりかえる皿や椀の音、あまりのやかましさに夢をさえぎられてしまった。机の硯にぶつかりはしまいかとしきりに案じられ、本棚の書物をかじられはしまいかと又気になる。こどもが猫の鳴声をまねているが、そんな計略は拙劣のいたり」(梅尭臣、筧文生注、岩波書店