レコードで出会ったビューイックの木版画

 レコードの棚から久しく聴いていないものを引っ張り出したら、
 英国の版画家で、博物学者でもあるトーマス・ビューイック(1753-1828)の版画がジャケットに使われた「イングリッシュ・オーボエ名演奏」(トリオ)が出てきた。
 
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 ビューイックはギルバート・ホワイトの「セルボーン博物誌」の寿岳文章訳の岩波文庫に挿絵が使われているし、「英国の鳥類誌」で知られ、鳥や動物の絵は古典になっている。
 
 人家など風景も描いていたのだった。ビューイックは、イングランド北東端ノーザンバーランド州で生まれ、南に隣接するダーラム州で亡くなっているから、このあたりの家なのだろう。
 玄関が2階にあって、階段で上るようになっている。冬は1階が埋まってしまうくらいの積雪があるので、2階が玄関なのだろう。(なぜ、英語で、2階がFIRST FLOORなのか、よくわかるというものだ)
 
 ホワイトは、ビューイックより33年前に生まれている。英国南部の動物誌「セルボーン博物誌」は1767年に初版が出、ビューイックの英国鳥類誌は1797年に上巻が出版された。
 
 2人が亡くなって半世紀ほどたって、2人の作品が出会う。セルボーンの博物誌の新版の挿絵にビューイックの鳥の絵が使われたのだ。
 
 この辺の事情を寿岳さんが岩波文庫で書いている。
初版には殆ど挿絵を見ないが、(中略)本譯書は、James Edmund Harting版(1876)の故智にならひ、木版画家トマス・ビューイック(Thomas Bewick、1753-1828)の作品から適当なのを選んで挿絵とした。譯者の考へでは、ビューイックこそホワイトの文体や気分に最もふさはしい挿絵画家である」。
 
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 セルボーン博物誌をめくっていたら、ビューイックのヤツガシラの挿絵があった。
この土地で見た最もめづらしい鳥と言へば、数年前の夏、姿をあらはしたヤツガシラ(ウプパ)のつがひです。何週間も、私の菜園つづきの庭へよくやつてきました。日中、幾度も、歩きながら餌をあさって、堂々たる態度で練りまはつたものです。私の庭で卵をかへすつもりかとも思ひましたが、村の悪童たちに脅されいぢめられて、遂に安住の折を得ませんでした