目に付いたのはー
◆鎧(札甲)を着たまま発見された男性の近くで、新たに首飾りをした女性の骨も発見され、乳児を含め合計4人の骨が確認されていた。
◆男性は札甲とともに、冑(横矧板鋲留衝角付冑)をかぶっていた。
発見当初と随分、被害状況が違ってきた。自分流に解釈すると、5世紀末、絶え間なくマグマ水蒸気爆発を繰り返していた二ツ岳が、ある日大爆発をして火砕流が発生。8キロ離れていたムラにも、思いがけない速さで襲い、鎧冑姿でひざまずき防御の姿勢で頭を下げていた男性ら4人(おそらく家族だろう)が埋められ、愛馬も流されてしまった。
男性が着用していた札甲(挂甲)は、噴石にも耐えるものだったのだろうか。現代に再現した人がいたはずだ、と思い出し、本棚を探すと「ふたがみ1」(1994年、香芝市二上山博物館)に掲載された船山政志氏「香芝市別所城山2号墳出土札甲の復元的研究」を見つけた。同氏は、8日と10時間30分の実働時間をかけて、札甲を制作、再現していた。
別所城山2号墳の札甲「ふたかみ1」より
小札作り=型紙を鋼板にあてて、形を写しとり、ポンチ打ち、穴あけ、173枚の小札(こざね)に切断。やすりがけ、磨き、洗浄、漆塗り・乾燥、孔通し(計7日と22時間30分)
組み立て=革綴じ(鹿のなめし革)し、甲の端も布、革で覆って(覆輪)完成。(計12時間)
札甲復元想定図(「ふたかみ1」)