日馬富士が象だった時

 象のノート(11)
 
 しばらく、象のメモを書き留めてきたが、いささか、疲れてきた。
 もう打ち止めにしようと思ったが、モンゴル相撲の「象」について触れておかねば。
 
 モンゴル相撲には、強者の称号がある。最高位から順に
 「アヴァルガ」
 「アルスラン」(獅子)
 「ザーン」(象)。
 
 日本の大相撲と対照して
 アヴァルガ=横綱
 獅子=大関
 象=関脇
とされるようになった。
 
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 ちょうどいい例がある。
 日馬富士の父ダワーニャムさんは、モンゴル力士として「ザーン」の称号を受けた人物だった。警察幹部として活躍し、故郷チャンダマニの教育向上のための活動も熱心に行っていた。だが2006年12月、故郷から、ウランバートルに戻る雪道で、交通事故に遭い、働き盛りの50歳で亡くなってしまった。
 翌2007年5月場所で、23歳の日馬富士=当時・安馬は関脇に昇進した。亡くなった父と同じ「ザーン(象)」になった感慨もあったのだろう。父の遺志をついでチャンダマニに緑の公園を作る決心をした。
 そのことが書かれた07年6月16日付の毎日新聞の切り抜きが手元にある。足立旬子記者の記事で、安馬関は、父親の鎮魂の思いを込めて、父の故郷で1000平米を整備して、「ザーン公園」と名付けて植樹することを決めた、というものだった。「関脇の公園」でもある。
 
 小兵の横綱となった日馬富士が、象だった10年前のエピソードである。
 なんだか、やるせない思いがしてならない。