京・嵯峨野の6月の空
蓮の咲く水面に映る空 いろは紅葉も 天竜寺
紫陽花の群の奥 透けて見える青空 梅宮大社
少し昔の嵯峨野の様子は、高桑義生さん(1894-1981)が沢山書いている。昭和12年に日活に入社し、京都撮影所の脚本部長をつとめた。長谷川一夫主演「鳴門秘帖」、市川雷蔵「桃太郎侍」の企画を手がけるかたわら、昭和48年に嵯峨野俳句会を主宰、俳人としても活動した。嵯峨野に関する著作を多数上梓している。
天竜寺
(晩春から初夏の光景を薦めている)
「盛夏の頃にも、紅葉の頃にも、冬枯の頃にも、それぞれのこの林泉を見たけれども、つひにこの晩春から初夏へのかがやかしい景観に及ぶものはないと思った」
(大方丈の広縁に立って全景を見る)
「まづ広縁のはづれに立って見渡した。この日の美しい陽光は、樹木に池水に石に庭砂に、一切のものの上にかがやいて、それらは恰もみがき上げられたやうな、玲瓏たる光を放ってゐた」
(かわせみもいる=今も現れる)
「また或る日は、いつの間にかむらさきの燕子花が葉をぬいて、微風にもろくをののいてゐた。そしてみごとな色彩をもった翡翠が、若楓の枝に止まっていつしんに小魚をねらつてゐた」
(庭は亀山殿の時代から-作庭家・重森説の紹介)
「最近重森三玲氏は、この林泉はもともと亀山殿の池庭で、明らかに夢窓国師開山以前のものである。国師は林泉を愛したが、みづから作庭した記録はないと」「世に夢窓流或は嵯峨流などとつたへて尊重して来た、夢窓国師の作庭説を根本から否定してゐるのである」
(短距離の保津川下りがあった)
(大瑠璃の声を聴いた)
「水際には折々落花が光った。樹立の中に一軒の家が見え、ひとむらの残花が新緑の梢にめんめんたる晩春の情をとどめてゐた。(略)それを見上げて佇んでゐるわたしの耳に、美しい小鳥の囀りが聞えて来た。(略)さうだ、大瑠璃――たしかにそれは大瑠璃に違ひない」